■S:今日の聖書の言葉
ローマ12:1-2(エレミヤ40章)
★そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。
■O:今日のコラム
シャローム!新しい1日を心から感謝します!
ローマ12章はキリストの器官、互いに愛し合うことなど色々なことが書かれてますが、この12:1-2はわたしたちクリスチャンにとって必要不可欠なことだと思います。
生きた供え物とはなにか?
「生きたままの捧げもの」と聞くと、キャンプファイヤーでそのまま焼かれるみたいな陳腐なイメージしか出てきませんが、そうではなく、わたしは日々自分の十字架を負うことだと思います。
「マタイ16:24
それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」
「ルカ14:27
自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。」
十字架を負っていかなければ弟子になることはできません。
イエス様と共に生き、永遠の都、御国でいのちの冠を得たいと願うならば、わたしたちは十字架の道を選ぶしか他に選択肢はありません。
十字架を負うことは当たり前ですが、苦しみが伴います。楽なことばかりではありません。
すんなりと「わたしは苦しみさえも喜び受け入れます!」と告白し、行いも伴えば良いですが、わたし自身は出来るならば苦しみは避けたい!という罪深さがあります。
しかし、イエスキリストの十字架の死と葬りと復活を信じているのに、苦しみは嫌、避けたいということは大きな矛盾があります。
「マタイ7:13-14
狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。
いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」
御国に入るには、狭い門からしか入れません。
苦しみを避けたいと思う原因を御霊に探っていただき、根源を悔い改め、十字架を通り狭い門、いのちに至る門から御国に入っていけますように。
逆を言えば、十字架を負う歩み、十字架を通ることだけが御国に入れることを感謝します!!
最後に、証になりますが、先日第3礼拝でも紹介されていた「主の似姿に変えられたいあなたに」という本の中に「苦しみを避けようとする思い」という項目があり、その中で深い悔い改めに導かれ、十字架の愛を今まで以上に体験し、「神の召し」というものを改めて悟る機会になりました。
「エペソ1:18
また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、」
■A:考えてみよう
今日のローマ12:1-2にあるように、
神のみこころは何か?神に何が受け入れられるのか?
十字架を負うことを通して知り、悟り、さらに深い主の招き、召しの中を歩んでいけますように。
十字架によってわたしたちの歩みが日々変えられていきます!
十字架がわたしの誇りです!!
十字架だけに寄り頼み、信頼します!
「ガラテヤ6:14
しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。」
「ローマ11:36
というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。」
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まな】
オンライン献金はこちらから。
大きな額の献金は手数料の少ない口座振り込みをお勧めいたします。