■S:今日の聖書の言葉
ローマ書8章11節(エレミヤ書41章)
★ もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。
■O:今日のコラム
私達には肉に従って歩むか、御霊に従って歩むかの選択が委ねられています。
実際には肉は死に渡されています。そして新しいいのちが私たちの内に生まれました。罪の奴隷として肉のために生きる必要はなくなりました。
私達はますます御霊に従って生きるものと変えられていくでしょう。しかし、私たちがそのチョイスを古い考え方に委ねるなら、肉に従う歩みからなかなか抜けられません。
新しいいのち、復活の力は死の後にもたらされるものです。
復活は死の後でなければありえないことは当たり前です。イエス様も死の後に復活させられました。
私たちも霊的に死んでいるから、新しい霊がよみがえったのです。
そして、それは心のあらゆる領域、からだの領域にも及んでいくのです。
『もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。』(ローマ人への手紙6章5節)
パウロはいつでも自分が復活の力、新しい創造にあずかるために自分の死を受け入れていました。
『いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。』(コリント人への手紙 第二 4章10節)
そうして、主の栄光が表されていきます。私達はおとろえ、主こそますます盛んになるべきです。
そんなパウロがこうも告白しています。
『ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。』(コリント人への手紙 第二 1章9節)
私は、ポカーンと口を開けるしかありませんでした。死をも恐れず大胆に働いたパウロも自分の死を真剣に覚悟することによってしか、よみがえらせてくださる主により頼むことができない領域というのがあったからです。
主にますますより頼んで歩んでいきたいと思うでしょうか?
それ以外に道はありませんから当たり前ですよね。
パウロでさえ死を覚悟しなければ、主により頼めない部分があるなら、私にはもっと、自分の死を覚悟し、歩むことの必要があります。
『自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。』(ルカによる福音書14章27節)
■A:考えてみよう
日々、自分の死を受け入れる。覚悟をする。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
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