■S:今日の聖書の言葉
エレミヤ書7章8~11節(使徒の働き7章)
★ 『なんと、あなたがたは、役にも立たない偽りのことばにたよっている。
しかも、あなたがたは盗み、殺し、姦通し、偽って誓い、バアルのためにいけにえを焼き、あなたがたの知らなかったほかの神々に従っている。
それなのに、あなたがたは、わたしの名がつけられているこの家のわたしの前にやって来て立ち、『私たちは救われている』と言う。それは、このようなすべての忌みきらうべきことをするためか。
わたしの名がつけられているこの家は、あなたがたの目には強盗の巣と見えたのか。そうだ。わたしにも、そう見えていた。──主の御告げ──』
■O:今日のコラム
エレミヤの時代に民は、神の御言葉を退け、罪を犯し、偶像礼拝をしていました。そうでありながら、主の宮に礼拝にやってきていたのです。そしてこの状態の主の宮を『強盗の巣』と主は見ておられました。
私たちも同じことをしてしまう事があると思います。私たち自身が主の宮とされていますが、これが祈りの家と呼ばれなければなりません。
どんな祈りを捧げるのでしょうか?願いを申し上げることも良いことです。しかし、主ご自身を求めて祈る祈りは、もっと必要です。異言を用いて、主との親密な交わりを持ちましょう。またとりなしの祈りも重要です。自分だけ良ければいいという考えは、主の心ではありません。もう一つ重要な祈りがあります。それは、御言葉の朗読です。
ある教会に来たメシヤニックジューに、「礼拝とは何ですか?」と質問をしたら「祈りです。」と即答されたそうです。「祈りとは何ですか?」とさらに質問すると「御言葉の朗読です。」と答えたそうです。イエス様の時代の礼拝は御言葉の朗読でした。イエス様も会堂に入って、イザヤ書を渡されてイザヤ61章を朗読しました。とりなしも御言葉を根拠にとりなすなら、御心にかなった祈りとなっていきます。
御言葉を朗読して祈るとき、真理が私たちの腹にある神の宮に蓄えられていきます。そして本物がきたら、偽りは出ていかなくてはならないのです。光が来たら闇は退かねばならないのです。『役にも立たない偽りの言葉』という偶像が取り払われるべきです。いままでは、人間なんだからこれは当たり前、と思っていた中に偽りがある事があります。これは常識と思っていた中に偽りがある事があります。真理によって私たちは自由にされていきましょう!
偽りの言葉に頼ることが偶像礼拝であると主は言っておられます。聞き従わない事は偶像礼拝の罪ですから。真理の光は、このような偽りが自分の中に根付いている事を明らかにしてくれます。見出すなら、悔い改めをもってその根をぬきさっていただきましょう!
役に立たない偽りの言葉により頼む領域が、ますます真理の御言葉により頼む領域に変えられていく事を祝福します!
■A:考えてみよう
御言葉の朗読をもって祈る時間を持ちましょう!
■P:祈り
知恵と啓示の御霊を与えて、私があなたをもっと知ることが出来るようにしてください。私の目を開いてください。私に与えたいと思っておられる召し、私に与えたいと思っておられる相続を教えてください。
お語りください。
あなたの言葉が私を導き、生かしてくださることを感謝します!
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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