■S:今日の聖書の言葉
2サムエル記3章1節
★サウルの家とダビデの家との間には、長く戦いが続いた。ダビデはますます強くなり、サウルの家はますます弱くなった。
■O:今日のコラム
この1節は、主の臨在を慕い求め、主ご自身を愛し、その戒めをおそれ敬う者の家と、主の臨在を軽んじ、主を求めず、主の戒めをおろそかにする者の家の違いが見事なコントラストとして記されています。ダビデの家はますます強くなり、サウルの家はますます弱くなりました。
御言葉に
「わたしは、わたしを尊ぶ者を尊ぶ。わたしをさげすむ者は軽んじられる。」(1サムエル記2:30b)
「悪者の家は滅ぼされ、正しい者の天幕は栄える。」(箴言14:11)
と約束されている通りです。
主に聞き従う人生と、聞き従わない人生には大きな違いがある事を私達は聖書の御言葉から学び、それを心に刻む必要があります。申命記28章には数多くの祝福と、さらにその祝福を上回る程の呪いが記されています。では祝福を相続する事と呪いを受ける事の違いはどこにあるのでしょうか?それは本当にシンプルな一点にあります。以下の約束を読んでみましょう。
(祝福の約束の初めの御言葉)
「もし、あなたが、あなたの神、主の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を守り行なうなら、あなたの神、主は、地のすべての国々の上にあなたを高くあげられよう。あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される。」(申命記28:1〜2)
(呪いの約束の初めの御言葉)
「もし、あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従わず、私が、きょう、命じる主のすべての命令とおきてとを守り行なわないなら、次のすべてののろいがあなたに臨み、あなたはのろわれる。」(申命記28:15)
祝福を相続する人生と呪いの人生、その決定的な違いは主の御声に「聞き従う」と言う一点にあります。
かつて預言者サムエルはサウル王にこの様に忠告をしました。
「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。まことに、そむくことは占いの罪、従わないことは偶像礼拝の罪だ。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた。」(1サムエル記15:22〜23)
私達の生まれながらの肉の性質は、主の御声に反抗します。しかし、主イエスは、私達が自分を神とする自己中心の性質、すなわち全ての罪を十字架で贖い、その血によって私達を完全に罪と死の束縛から解き放ち、主の為に生きる事が出来る命を与えて下さいました。またその十字架で流された血潮は継続して私達を聖め続ける力があります。旧約聖書において祭司は聖められた者として主の働きをする時に、右の耳たぶ、右手の親指、右足の親指に、血を塗られました(レビ記8:23〜24)。
私達も日々具体的に、私達の心、思い、体の部位に主イエスの血潮を宣言して実際的な主の聖めを受け取る事が出来ます。特に耳に対する血潮の宣言は重要です。目から入り、耳から聞く情報が人生の90%の部分をも支配すると言われています。私達が日々、この世の否定的で不信仰な声では無く、主の御声を聞き、その御教えに従う事が出来ます様に、主イエスの血潮を宣言し、また聖霊様の臨在と助けを絶えず求め、御言葉を朗読して御約束を心と思いに刻み、主が約束されている祝福の道を歩んで行きましょう。
■A:考えてみよう
今日も、御霊の導きの中で異言で祈り、御言葉を朗読し、主イエスの血潮を実際的に告白して祈る時を持ちましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
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