■S:今日の聖書の言葉
1サムエル記17章37節
★ついで、ダビデは言った。「獅子や、熊の爪から私を救い出してくださった主は、あのペリシテ人の手からも私を救い出してくださいます。」サウルはダビデに言った。「行きなさい。主があなたとともにおられるように。」
■O:今日のコラム
本日の箇所は、ダビデとゴリアテが対峙する有名な場面です。
この箇所からダビデの信仰の姿勢を見ていきたいと思います。
ゴリアテは、その風貌と口の言葉によってイスラエルの民を脅しました。40日間、毎日忠実にイスラエル人の前に出て来て脅したのです。その結果、ゴリアテを見、その脅し文句を聞いたすべてのイスラエル人は意気消沈し、非常な恐れに支配されてしまいました。
ゴリアテはイスラエル人の思いの領域を恐れで支配することに成功したのです。
このことは、私たちの日常生活の中でも当てはまると思います。大きな問題がやって来たとき、問題の大きさばかりを見続けるのならば、私たちの思いは恐れで支配されてしまい、問題に押し潰されてしまいます。
私たちの思いは、見るものと聞くものによって影響を受けるのです。
この状況において、ダビデはどのような行動を取ったのでしょうか?
ダビデはゴリアテの姿を見、その脅し文句を聞きました。しかし、ダビデの反応はゴリアテを全く恐れませんでした。それどころかゴリアテに対して聖なる憤りが湧き上がり、ゴリアテと戦おうとします。
なぜダビデはこのように恐れることなく、ゴリアテに立ち向かうことが出来たのでしょうか?
答えはダビデが礼拝者であったからです。
礼拝者ゆえにイスラエルの神がどのようなお方か知っており、その偉大さ、力強さを知っていたのです。そして、ただ知識で知っているだけではなく、イスラエルの神の力強さを日々の生活の中で体験していたのです。
羊飼いとして日常生活を送っていたダビデですが、獅子や熊がやってきて羊を襲うことがあります。そのような時にイスラエルの神がダビデと共におり、獅子や熊から救い出してくださるのです。驚いたことに35節では、少年ダビデが獅子や熊を打ち殺してしまうと書いてあります。これは常識ではあり得ないことです。少年が獅子や熊と闘って勝てるわけがありません。
しかしながらダビデは、イスラエルの神を礼拝し、信頼していたので、これらの猛獣を恐れることは全くありませんでした。
神の偉大な力が日常的にダビデに働き、猛獣を打ち負かすのがダビデにとっては当たり前のことだったのです。
彼の日常生活の中で、イスラエルの神の力を体験していたのです。
そのようなダビデがゴリアテを恐れるはずがありません。いとも容易くゴリアテを倒して、首を討ち取りました。
このようなダビデの姿から学ばさせられます。私たちの日々の生活の中で次から次へと問題はやってきます。まるでゴリアテが脅しているかのようです。しかしながら、私たちもダビデのように信仰を働かせて行きたいと思います。どこに信仰を働かせていけばいいのでしょうか?
イエス様御自身に信仰を働かせていきましょう。
イエス様が十字架の上で流された血潮は、サタンと全ての力に打ち勝つようにさせます!
あらゆる問題に勝利する力があるのです。
問題に対して十字架の勝利を宣言する時に、神様の方法で問題が解決されていくのを目の当たりにすることになります。
ダビデのように、礼拝者として絶えず神様を礼拝し、神様がどのように偉大なお方であるかを御言葉から悟り、口で宣言していきたいと思います。
(黙示録12:11)
兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。
サタンはイエス様の十字架によって既に敗北しています。それでもまるで自分が強いかのように見せかけてきます。
恐れる必要はありません。
私たち神の子がイエス様の御名を宣言し、血潮を宣言するときにサタンは身震いして怖気付いているのです。
クリスチャンはこのような力強い身分とされているのです。勝利者としてこの地上の人生を歩んでいきたいと思います。
今日も一日イエス様に期待して歩んでいきましょう!
■A:考えてみよう
クリスチャンに与えられている特権がどれ程素晴らしいものであるか、今一度思い巡らしてみましょう。
■P:祈り
愛する、イエスキリストのお名前によってお祈りします。
アーメン
【 あきひろ 】
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