■S:今日の聖書の言葉
サムエル記第一13章19~22節
★『イスラエルの地のどこにも鍛冶屋がいなかった。ヘブル人が剣や槍を作るといけないから、とペリシテ人が言っていたからである。
それでイスラエルはみな、鋤や、くわや、斧や、かまをとぐために、ペリシテ人のところへ下って行っていた。
鋤や、くわや、三又のほこや、斧や、突き棒を直すのに、その料金は一ピムであった。
戦いの日に、サウルやヨナタンといっしょにいた民のうちだれの手にも、剣や槍が見あたらなかった。ただサウルとその子ヨナタンだけが持っていた。』
■O:今日のコラム
へブル人は、ペリシテ人の支配下に置かれていました。そしてペリシテ人は、へブル人が逆らわないように鍛冶屋を排除してしまいました。闇の力が神の民を抑え込もうとするときに用いる常套手段があります。それは御言葉と御霊の力を神の民から遠ざける事です。かつてアッシリアが北イスラエル王国を侵略するときにも、水と食料を絶ったのです。それは、御言葉と御霊の力を断ち切る事を意味します。
ここでもペリシテ人は鍛冶屋を絶ちましたが、それは御霊の与える剣である神の言葉を与えない策略です。だからへブル人の中では誰も剣を持っている者はいませんでした。何か金物を研ぐには、ペリシテ人の所に持っていかなくてはなりませんでした。その料金は1ピムでした。
『ピム』という言葉はヘブル語の『ぺー』に由来する言葉です。『ぺー』とは『口』の事です。私たちが御言葉の剣を得る、また研ぎ澄ますための代価は、口なのです。つまり御言葉を朗読する事にあるのです。
サウルとヨナタンだけは剣や槍を持っていました。それは、彼らは王の義務である御言葉の朗読をしていたからです。イスラエルの王の義務の一つに、御言葉を朗読して学ぶことがありました。そしてヨナタンも、将来のイスラエルの王としての教育を受けていました。なのでこの二人だけは剣を持っていたのです。御国の王権とは、御言葉の剣をもって世に勝利していく力なのです。
実はこの朗読によって研ぎ澄まされる者は、最後のリバイバルの引き金となる『研ぎ澄まされた矢』なのです。第一の戒めにはこうあります。
『聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。
心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。
これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。
これをしるしとしてあなたの手に結びつけ、記章として額の上に置きなさい。
これをあなたの家の門柱と門に書きしるしなさい。』(申命記6:4~9)
この『子どもたちによく教え込みなさい』とあるのは、ヘブル語で『シャナン』という語が当てられています。それは御言葉によって研ぎ澄ます、というような意味です。これは、剣や矢を研ぎ澄ますときに使われる語なのです。
『彼らは、その舌を剣のように、とぎすまし、苦いことばの矢を放っています。』(詩篇64:3)
ここで、『研ぎ澄まし』と使われる語が『シャナン』です。詩篇64:3では悪い言葉のために研ぎ澄ましていますが、当然良い言葉(御言葉)によって研ぎ澄ます事が重要なのです。つまり御言葉を朗読する事が重要なのです。そうすると私たちは、研ぎ澄まされた鋭い矢となるのです。
『勇士の鋭い矢、それに、えにしだの熱い炭火だ。』(詩篇120:4)
この『鋭い』が『シャナン』です。私たちはシャナンされた矢となるのです。
『見よ。子どもたちは主の賜物、胎の実は報酬である。
若い時の子らはまさに勇士の手にある矢のようだ。
幸いなことよ。矢筒をその矢で満たしている人は。彼らは、門で敵と語る時にも、恥を見ることがない。』(詩篇127:3~5)
主は、神の子どもたちを、研ぎ澄まされた矢として、矢筒の中にしまい、敵を打ち破るその時に備えるのです。神のタイミングで放たれた一発の矢がこの世の戦局をガラッと変えてしまう、リバイバルの『のろし』となるのです。
『主よ。あなたの天を押し曲げて降りて来てください。山々に触れて、煙を出させてください。
いなずまを放って、彼らを散らし、あなたの矢を放って、彼らをかき乱してください。』(詩篇144:5~6)
この詩篇は、主が来られる最後の時をイメージさせるものですが、そのときに引き金として用いられるのが、『矢』なのです。
ダビデがゴリヤテを倒すときの話を思い出してください。イスラエル人が、ペリシテ人に対して完全に意気消沈している状態であったとき(世の終わりも真っ暗な闇が支配している状態のはずです)ダビデが放った一発の石が戦局を変えてしまったのです!同じことが、現代にも起こると信じます。そのときにもダビデは、川で削られ、研ぎ澄まされていた『なめらかな石』を拾ってきて、投石袋(言い変えれば矢筒にあたります)にしまったのです。そしてこのなめらかな石の一発が、霊的な戦局をガラッと変えるリバイバルの『のろし』となったのです。
■A:考えてみよう
まず、自らが御言葉の朗読によって研がれる必要があります。次に子どもや霊的な子孫に朗読をうながす必要があります。これが申命記6章で言われている、『子どもによく教え込み(シャナン)なさい』ですから。
■P:祈り
御言葉によって私を研ぎ澄まし、リバイバルの矢として用いてください。また子どもたちによく教え込む事ができるように助けてください。
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