■S:今日の聖書の言葉
ヨハネの黙示録6章1節(詩篇108篇)
★「また、私は見た。小羊が七つの封印の一つを解いたとき、四つの生き物の一つが、雷のような声で「来なさい」と言うのを私は聞いた。」
■O:今日のコラム
黙示録の6章から、小羊イエスによって7つの封印が解かれていきます。ここから19章までに「患難時代」のに起こることが記されています。
さて、ヨハネの黙示録というと、「難しい」「怖い」と言われることが多いですね。私も以前はその様に感じていました。もちろん今でも簡単だとは思いませんが…
最近、12歳の息子が黙示録の話をしていた時に、「黙示録を読んで怖いと思う人は、イエス様を知らない人で、黙示録を読んで怖いと思わない人はイエス様を知っている人だよね。黙示録でその人に信仰があるか無いかが分けられるね。」と言っていて、ぎょっとさせられました。
先日の礼拝で主任牧師先生が、終わりの時代について聖書に書かれている事柄からメッセージされました。その時に「主が、『このようなことが終わりの時代に起こる』と教えて下さっているのですから、もちろん起こるんですよね。けれども、大切なことはそのような事柄が起きた時にも平安でいることです。」と語っておられ、心からアーメン!と思いました。
みことばに書かれているような終わりの時代の事柄が、周りで起こり始めているこの時、私たちはどのようにして平安でいることができるでしょうか。どうしたら、黙示録を読んでも「怖い、、、」と思わないでいられるでしょうか。
その秘訣はヨハネとイエス様の関係にあります。
神によって、この啓示(黙示)を託されたヨハネはイエス様の弟子の中で唯一、殉教しなかった弟子です。長い人生の中で、生ぬるい信仰で生きた方が楽だ、と放り出したくなる誘惑にもあったかもしれません。多くの迫害の中で苦しみを受け、パトモスという島にたった一人にされ、寂しくひもじく、信仰を捨ててしまいたいと思うこともあったかもしれません。けれども、なぜ彼は死に至るまで忠実にいられたのでしょうか。なぜ、主からこのような偉大な啓示を託されるほどに信頼されたのでしょうか。
それは、イエス様との愛の関係がいつも彼の土台にあったからではないかと思います。
ヨハネの福音書の中で、彼は何回か自分のことを「イエスに愛された弟子」と呼んでいます。(ヨハネ13:23,21:7,21:20)
彼は自分が主に愛されていることに確信があり、また主を愛することは、主の戒めを守り行うことであるという真理から外れませんでした。「『わたしの戒めを保ち、 それを守る人は、 わたしを愛する人です。 わたしを愛する人はわたしの父に愛され、 わたしもその人を愛し、 わたし自身を彼に現します。』 」(ヨハネ14:21)
長い人生の中で、いつも彼を支えたのは御霊によって思い起こされるイエス様との愛の交わりの記憶でした。彼が霊的に死ぬことなく、かえって生き、主のみわざを語り告げることが出来たのは、キリスト御自身である愛のみことば、命を与える主のみことばが彼の中に生きていたからでした。
彼は愛するイエス様が天に昇られた後も、キリストの言葉を守り行うことを通して、イエス様を愛し続け、主の愛を受け取り続けたのです。
申命記6章では「聞きなさい。 イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。心を尽くし、 精神を尽くし、 力を尽くして、 あなたの神、主を愛しなさい。」とあります。どのようにすれば「心を尽くし…て主を愛する」ことができるのか?それを続く御言葉が教えてくれています。
「私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、 あなたの心に刻みなさい。これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。 あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。これをしるしとしてあなたの手に結びつけ、記章として額の上に置きなさい。これをあなたの家の門柱と門に書きしるしなさい。」
ここで、「主を愛すること」とは、主の御言葉を心に刻むことであり、主の御言葉を溢れさせること(ここの「刻む」は原語で『いつも存在させ、溢れさせる』の意)であると教えてくれています。
神御自身である御言葉を私たちの内に豊かに住まわせ、神の戒めを守り行うなら、私たちは主との愛の関係の中にとどまることが出来、私たちは主の完き愛によって恐れに打ち勝って、主の平安を得ることが出来ると信じます!
「キリストのことばを、 あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。」(コロサイ3:16)
「『もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。 それは、 わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。』」(ヨハネ15:10)
「愛には恐れがありません。 全き愛は恐れを締め出します。 なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。 恐れる者の愛は、 全きものとなっていないのです。」(第一ヨハネ4:18)
■A:考えてみよう
私のかしらは恐れになっていないだろうか?恐れによって、振り回される尾になっていないだろうか?
主に愛されていることに確信があるだろうか。主を愛していることに確信があるだろうか。
■P:祈り
主よ、あなたを口先だけで愛することをせず、みことばを守り行うことが出来るように、力を与えてください。あなたの御教えを、口ずさむ喜びを私に教えてください。御言葉の中に主の偉大な愛を見いだすことが出来ますように、知恵と啓示の御霊よ、私の霊の目を開き、私に悟りを与えて下さい。私はただ、あなたの喜ばれることだけをしたいのです。今日もあなたの御言葉を私の心に刻みます。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 みちる 】
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