■S:今日の聖書の言葉
ヨハネの福音書20章17節(詩篇98篇)

★『イエスは彼女に言われた。「わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないからです。わたしの兄弟たちのところに行って、彼らに『わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る』と告げなさい。」』

■O:今日のコラム
十字架にかかり、死と葬りと復活を通して、主は父なる神とお会いすることが定められていました。私たちが主とお会いする事は、私たちが新しくされる事と結びついているのです。

『今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。』(1コリント13:12)

この第一コリントの『その時』とは、天で主とお会いする時の事です。この時に私たちは、今までに無い主との親密さの中に入ります。主とのより豊かな交わりを求めておられるでしょうか?もっと主を知りたい(知識だけではなく、体験的にと言うのが言語的な意味です)でしょうか?それならば十字架を避ける事はできません。十字架は、勝利の道なのです。自分を捨て、自分の十字架を負って、イエス様についていきましょう!
神の愛の関係から、伸ばされる、人を愛する愛の手が十字架です。(そんな形のイメージですよね)この愛をもっていきましょう!困難、苦難が必ずあります。そうしたら、小さな領域での十字架が全うされる事を信じて、へりくだって忍耐して愛し続けるのです。この時に強烈にイエス様の気持ちが理解できるのです。 私たちは十字架を通して、イエス様と新しく出会い、新しくイエス様を知るのです。これを避けてはもったいないです。これは大きな神の恵みなのです。

『罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行っていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。』(1ペテロ2:20)

また、
『正しい者が愛情をもって私を打ち、私を責めますように。それは頭にそそがれる油です。私の頭がそれを拒まないようにしてください。彼らが悪行を重ねても、なおも私は祈ります。』(詩篇141:5)

この『頭に注がれる油』とは、別訳で『最上の油』です。これを避けるのは、恵みをふいにする事です。むしろ喜ぶのです。喜び踊るのです。

■A:考えてみよう
祈りの場において、聖霊様を歓迎し、御言葉によって悔い改め、血潮の宣言をする事によって、私たちは、プライドやこだわりを捨て去って、新しく変えられるのです。そして、生活の場において、神の愛の関係をもって人を愛し、十字架をも全うできるのです。自分の十字架を持つと言う事は、意識的に自分に語られた御言葉を握って歩む事です。詩篇1篇には、『昼も夜もその教えを口ずさむ』とあります。スマホなどで、数時間毎にタイマーをセットし、鳴る度(バイブする度に)に御言葉を口ずさみ、ライフスタイルなるまで、御言葉が受肉するまで握りましょう!
そのように歩んでいく先に待っている困難が来たら、喜んで小さな十字架を全うしましょう!

■P:祈り
十字架を通して、あなたを教えてください。私は砕かれた心で地上を歩みたいです。どうぞ十字架に至るまで、従順であらせてください。あなたを求めます。あなたを愛しています。

【 まじまこ 】

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