■S:今日の聖書の言葉
2ペテロ2章9節

★これらのことでわかるように、主は、敬虔な者たちを誘惑から救い出し、不義な者どもを、さばきの日まで、懲罰のもとに置くことを心得ておられるのです。

■O:今日のコラム
ペテロの手紙は世の終わりに生きる私たちが、どのように歩んだら良いかが書かれている手紙です。
2章においては、神に敵対する「不義を行う者」がどのような者か書かれています。私たちもこの2章を読んでここに書かれている者にならないように気を付けなければなりません。
なぜなら、書簡は神を信じるクリスチャンに向けて書かれてあるからです。

20節ではこのように書かれています。
「主であり救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れからのがれ、その後再びそれに巻き込まれて征服されるなら、そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪いものとなります。」

主の恵みによって、私たちは救いを頂きました。
私たちは決してここに書かれてある状態になりたくはありません。

今日の箇所もそうですが、聖書の様々な箇所にも、世の終わりには信仰から離れる人々が出てくると聖書は言っています。背教とはイエスキリストの信仰を捨てて、他の教えに従うことです。

2テサロニケ2章3節
「だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないからです。」

背教が起こるこのような時代において、私たちは信仰を守る必要があります。
信仰を守り通すことは簡単なことではありません。
イエスキリストに対する信仰を最後まで持ち続けるにはどうしたら良いのでしょうか?
次の御言葉を見てみましょう。
2ペテロ1章10節
「ですから、兄弟たちよ。ますます熱心に、あなたがたの召されたことと選ばれたこととを確かなものとしなさい。これらのことを行っていれば、つまづくことなど決してありません。」

この御言葉は力強い御言葉です。
つまづかないで信仰を守り通す為には、召されたことと選ばれたこととを確かなものとすることが大切なのです。
どのようにして確かにして行くのでしょうか?

それは、もう一度福音を自分自身に語るということです。
私たちが信仰に入る前には必ず福音を聞いています。ローマ10章10節にあるようにクリスチャンは皆、福音を聞き、心で信じて義と認められ、口で告白して救われるという過程を通っています。この過程を一度きりのことではなく、日々の生活の中で確認して行く必要があります。自分が救いを受けていることがどれ程素晴らしく、感謝なことであるかを確認していくのです。毎日自分の口で「イエス様は私の救い主である」と告白して宣言していきましょう。

十字架の恵みは日々新たにされていきます。聖霊様が私たちの心にイエス様の十字架を啓示してくださいます。
そのような歩みをするならば、決して私たちはつまずくことがなく信仰から離れることはありません。

私たちが福音の土台の上にしっかりと立つならば、敬虔さが身につくことになります。
敬虔とは神を畏れ敬うことです。
2章9節には「主は、敬虔な者たちを誘惑から救い出し」とあります。
神様は敬虔な者を誘惑から守ってくださるのです。

今の時代、様々な誘惑が私たちの周りには満ち溢れています。自分の力ではこの誘惑に立ち向かうことができません。
しかし、私たちが敬虔に歩むならば、主の力強い御手が私たちを誘惑から守ってくださいます。
そして、私たちに聖さが身につき、主を見ることができるようになります。

日々の信仰生活では様々な戦いがあります。しかし、私たちには信仰の創始者であり完成者であるイエス様が共におられます。イエス様をどんなときでも見つめ続け、この人生を歩んでいきましょう。

■A:考えてみよう
神の恵みによって与えられた救いとはどのようなものか、今一度吟味して行きましょう。

■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 あきひろ 】

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