■S:今日の聖書の言葉
テモテへの手紙 第一 2章4節(イザヤ62章)
★神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。
■O:今日のコラム
今日の箇所から、神様の御心を知ることが出来ます。
神様が心から願っているのは「すべての人が救われて、真理を知るようになる」ということです。
「救われる」とはどういうことでしょうか?
次の御言葉を見てみましょう。
「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」(ローマ10:9-10)
イエス様の十字架の贖いを心から信じて、口で告白するならば私たちは救われます。イエス様の十字架の贖いによって私たちは義とみなされるのです。
「真理を知る」とはどういうことでしょうか?
真理という言葉は聖書の中で沢山出てきます。
(エペソ4章21節)
ただし、ほんとうにあなたがたがキリストに聞き、キリストにあって教えられているのならばです。まさしく真理はイエスにあるのですから。
ここの箇所に「真理はイエスにある」と書かれています。真理を知るとはイエスキリストを知ることに他なりません。
真理の御霊がイエス様を私たちの心に啓示してくださいます。
(ヨハネ15章26節)
「わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。」
このように、すべての人が救いに至り、真理を知るようになることを神様は願っておられます。その為に、私たちはとりなして祈り続ける必要があります。
(1テモテ2章1節)
「そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。」
このように書かれてあります。
私たちの周りの人々、家族や友人、職場の人や社長、政治家や総理大臣に至るまで、ありとあらゆる人の為に祈る必要があります。
「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」
(ローマ10章13節)
芸能人であっても、お笑い芸人であっても、総理大臣であっても、主の御名を呼び求めるならば、だれでも救われるのです。
長い間、魂の救いの為に祈っている方もいると思います。ずっと祈っているにも関わらず救いを見ることが出来ない場合があります。そのようなときに疑問がやって来ることがあります。「果たして、この人が本当に救われるのだろうか?」
私も友人の救いの為に祈り続けていますが、なかなか救いの実を見ることができません。
私たちは忍耐を持って魂の救いの為に祈る必要があります。
なぜなら、人の魂の救いは主のなさる業だからです。私たちが救うわけではありません。このことについて少し見てみましょう。
マタイ19章23-26節に興味深い話しが記されてあります。
ここの箇所では人の魂の救いについて論じ合われています。
23-24節でイエス様はこのように語っています。
(マタイ19章23-24節)
それから、イエスは弟子たちに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。金持ちが天の御国にはいるのはむずかしいことです。
まことに、あなたがたにもう一度、告げます。金持ちが神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」
ここの箇所を読むと私たちは絶望してしまいそうになります。
なぜなら日本人の多くはここに登場する金持ちのような状態だからです。日本は経済大国であり、多くの人々はお金が神様になっているからです。
イエス様の弟子たちも驚いて反応しています。
(マタイ19章25節)
弟子たちは、これを聞くと、たいへん驚いて言った。「それでは、だれが救われることができるのでしょう。」
私たちもきっと弟子たちと同じ反応をしてしまうでしょう。
しかし、このあとに驚くべき答えがイエス様の御口から語られます。
(マタイ19章26節)
イエスは彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」
ここに全ての答えがあります。
イエス様は弟子たちだけではなく、ここの箇所を読む私たちの目もじっと見て語られるのです。なぜじっと目を見つめて語られるのでしょうか?それは、イエス様御自身が語る言葉に集中して聞いて欲しいからです。
「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」
シンプルな一言ですがここに真理があります。
先ほども言いましたが、魂の救いは私たち人間には出来ないのです。
神様だけが人の心を造り変えることができます。
頑なな人間の心が変わり、神に立ち返ることが一番の奇跡です。
神様の素晴らしい福音はこの日本まで伝えられました。
私たちもイエスキリストを主として信じています。
私たちは決して偶然にイエス様を信じたわけではありません。必ず背後で誰かのとりなしの祈りがあって救いに導かれているのです。また、必ず誰かから福音を伝えられて聞いているのです。
次は私たちの番です。
私たちはへりくだりつつ、次に救われる者の為に祈ろうではありませんか。機会を用いて福音を語り続けましょう。
必ず主のタイミングで魂の救いは起きることになります。
■A:考えてみよう
私たちに与えられた救いとはどのようなものか?
改めてこの機会にもう一度考えてみましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 あきひろ 】
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