■S:今日の聖書の言葉
★イザヤ61章10-11節
「わたしは主によって大いに楽しみ、わたしのたましいも、わたしの神によって喜ぶ。主がわたしに、救いの衣を着せ、正義の外套をまとわせ、花婿のように栄冠をかぶらせ、花嫁のように宝玉で飾ってくださるからだ。地が芽を出し、園が蒔かれた種を芽生えさせるように、神である主が義と賛美とを、すべての国の前に芽生えさせるからだ。」
■O:今日のコラム
ハレルヤ!今日も素晴らしい1日を主に感謝します。今日の箇所イザヤ61章は、私も好きな御言葉の一つです。10節で使われている「かぶる」「飾る」は両方とも祭司が身にまとうものを意味すると、アテフ神父のセミナーで学びました。神様が最初に造られた祭司はアダムでした。アダムは、エデンの園において、全ての被造物を支配する王として、神様を礼拝する祭司として造られました。神様がアダムに与えた役割は二つです。
「神である主は人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。」(創世記2章15節)
一つ目は「耕す」ということ。これは「礼拝する、奉仕する」という意味があります。
私たちは、日曜日や教会にいる時、祈りの家にいる時だけでなく、礼拝しているでしょうか?日々の忙しさや仕事のプレッシャー、噂話や人の言葉や評価の中で、神様に心が向けられなくなっていないでしょうか?赦せない心や頑固な心が私たちの内にないでしょうか?
私自身、社会人で働いていた時、このような心、自分の弱さを特に味わいました。それがテストだったと思います。今でもそのような時がやってくる時、私は私のたましいに命じます。我がたましいよ、主をほめたたえよ!と。
私たちは、神様を礼拝する者として造られました。「礼拝する」ということは、私たちの心を耕すことになります。私たちの心の園が主を礼拝する宮として整えられていくことを求めていきましょう。
二つ目は「守る」ということです。ヘブル語で「見張る」という意味があります。
私たちが見張るのは、人でもなく、問題でもなく、私たち自身、私たちの心、私たちの内側にある園です。主が私たちの内に住まわれる状態になっているでしょうか?キリストが私たちの心の内に住んでおられるでしょうか?
私たちはこの心を絶えず見張らなければなりません。私たちの心の園に、雑草が生えたら抜かなければなりません。蒔かれた種が育つのを妨げるものから守らなければなりません。成長するための水分と養分が必要です。まさに今やっている「悔い改め」「血潮の宣言と祈り」「御言葉の朗読」です。これらは、私たちの心の園を管理するために、毎日!必要です。すぐに変化を体験出来ないかもしれません。ですが、必ず芽が出て、実を結ぶ時が来ます。主が再び戻って来られるまで、継続して、私たちは心の園を見張っていきましょう。
主は「花婿のように栄冠をかぶらせ」とあるように、私たちにご自身の栄光を分かち合いたいと願っておられます。なんという喜びでしょうか。日々、キリストの似姿へと造りかえられること、私たちの内側が聖なる宮として、花嫁のように整えられ、栄光の主が再び戻ってこられることを熱心に待ち望み続けたいと思います。
■A:考えてみよう
・ 私たちの心の園を耕し、見張っていきましょう。私たちの心が、主にだけ向けられ、私たちの心が、キリストの心へと造り変えられ、主の心と一つにされていきますように。
・聖霊様、今日もあなたの助けが必要です。私の力、努力では出来ないことを認めます。「私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。(詩篇139篇7節)」私たちの願い、望みは、私たちの内にキリストの似姿が回復すること、完成することです。私たちの内におられる聖霊様も、そのことを切に願ってとりなしておられることを感謝します。忍耐をもって熱心に待ち望み続けることが出来ますように。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 ささまな 】
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