■S:今日の聖書の言葉
イザヤ51章3節(イザヤ23章)
★まことに主はシオンを慰め、
そのすべての廃墟を慰めて、
その荒野をエデンのようにし、
その砂漠を主の園のようにする。
そこには楽しみと喜び、感謝と歌声とがある。
■O:今日のコラム
今、自分の人生や人間関係には、楽しみ、喜び、感謝、歌声があふれていますか?命にあふれ、潤った、エデンの園のようでしょうか?
それとも、砂漠や荒野のように、乾いて、石ばかりで、生き物が育つことができない寂しいところとなっているでしょうか。
もし、私たちの人生や、人間関係が今まだ砂漠のようだったとしても、聖書には素晴らしい希望の約束があります。
私たちは永遠の滅びから救い出されただけでも十分過ぎる恵みを受けましたが、その上に、イエス様の十字架の贖いによって、罪の結果であるすべての呪いが打ち砕かれ、命のあふれる祝福が約束されるようになりました。
砂漠のように荒れ果てていた(いる)私たちの人生、人間関係、教会の中に、いのちを与える水があふれ流れ始め、そこは、エデンの園のように、主の園のように、命で潤い始めるという約束です。
シオンとは、もともとエブス人の要害でしたが、ダビデがそこを攻め取った後、ダビデの町と呼ばれるようになりました。(2サムエル5:7)
聖書をさらに読むと、エルサレム、シオンを並べて、同じように使っている箇所もあります。
シオンは、ダビデの幕屋が建てられた場所。
エルサレムは神殿が建てられた場所。
どちらも、主を愛する者たちが主を礼拝し、主が住まわれる場所、です。
今の時代、主は、どこに住まわれるのでしょう?
聖書が「シオンが慰められる」(イザヤ51:3)、という時、実際のイスラエルに回復がある/あった、ということもその通りだと信じますが、信仰によって主の住まいとなった人々、その人々の集まり、その人々が主を礼拝するところ、その礼拝をも表していると信じます。
ダビデの心を持った真の礼拝者たちが、ダビデの方法に従って主を礼拝するところ、そこを主は、どこよりも愛して、そこに住むと言ってくださっています。
今、霊とまことによって主を礼拝する者達の上、主を愛して主の戒めを守る者達の中、全力で主を愛し、主の愛を受け、その愛で隣人を愛する人たちの中に、主が聖霊により御臨在を表してくださっていますが、そここそ、主のシオンだと信じます。
主はそこに、慰めを与え、そこを園のように潤してくださるのです。
■A:考えてみよう
イエス様の十字架を信じて、今日も自分が天のお父さんの愛する子どもであることを感謝しよう。神様の愛にいっぱいに満たされるよう、主の御顔を慕い求め、待ち望もう。
神様を愛し、神様の愛で隣人を愛し、光の内を歩み、主のシオンとなれるよう求めよう。
私たちが主を愛する時、ダビデの心で主を礼拝する時、私たちが主の園のように慰められ、潤った園のように、楽しみ、喜び、感謝と歌声が私と私の兄弟姉妹の中にあふれることを期待しよう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン
【 とも子 】
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