■S:今日の聖書の言葉
★第二コリント9章6節
「私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。」
■O:今日のコラム
ハレルヤ!今日も素晴らしい1日を主に感謝します。私たちが何の種を蒔くか、どのくらい蒔くかによって、刈り取りは決まります。蒔いたら、刈り取る、というのは、自然においても、霊的な世界においても、御国においても同じ原則です。蒔いていないものを刈り取ることは出来ません。善い実を刈り取りたいなら、善い種を蒔きます。また、たくさんの収穫を得たいなら、私たちはたくさん種を蒔きます。なぜなら、「人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。」(ガラテヤ5章7節)と書いてあるからです。
私たちは、自分の内に、魂に、どんな種を蒔いているでしょうか。御言葉の種を豊かに蒔き続けるなら、豊かな実を結び、刈り取ることとなります。私たちは、周りの人に、家族に、職場の人間関係の中にどんな種を蒔いているでしょうか。福音の種、励ましの種、奉仕の種…神の国があらわされるために豊かに種を蒔いていくなら、いつの日か刈り取る時がきます。
私たちが豊かに蒔き続ける時(多くの時間やお金、自分自身を捧げ、福音を宣べ伝える時…)、非難を受けたり、困難を覚える時があるでしょう。この地上での報いではなく、天に報いがあることを覚えなければ、私たちは簡単に失望してしまいます。あるメッセージで、失望という種を蒔いてしまっては、サタンがきて呪いに変えてしまうと語られていました。失望は神様からきているものではないからです。私たちは、せっかく蒔いた種、その時は喜んで祝福をもって種を蒔いたのに、失望してしまってはいないでしょうか?時間がかかったとしても、必ず報いはあることを覚えましょう。
「善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。」(ガラテヤ6章9節)
時期とは、神様が定められた時のことです。収穫の時は、必ずやって来ます。ですから、私たちは、どのような時にも主を信頼し、主に期待し、豊かに蒔く者となっていきましょう。私たちに蒔く種と食べるパンを与えて下さっている主に感謝しましょう。朽ちることのない実を結ぶ者、天の報いを見続ける者となり、永遠の喜びに満たされ、永遠の命を刈り取っていく者になりましょう。
「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰ってくる。」(詩篇126篇5-6節)
■A:考えてみよう
・せっかく種を蒔いたのに失望してしまってはいないだろうか?もし、諦めたり、失望してしまったことがあるなら、悔い改めて、もう一度御言葉を握って祈り続けましょう。
・豊かに蒔き続ける者となっていきましょう。「ばらまいても、なお富む人があり、正当な支払いを惜しんでも、かえって乏しくなる者がある。おおらかな人は肥え、人を潤す者は自分も潤される。」(箴言11:24-25)
・私たちの家族、特に信仰の家族に善い種を蒔き続けることが出来ますように。
・今日、私たちが蒔く種が祝福されますように。そして天の報いに目を留め続けることが出来ますように。主に信頼し続けることが出来ますように。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 ささまな 】
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