■S:今日の聖書の言葉
イザヤ書32章9〜14節(コリント人への手紙第二8章)

★『のんきな女たちよ。立ち上がって、わたしの声を聞け。うぬぼれている娘たちよ。わたしの言うことに耳を傾けよ。うぬぼれている女たちよ。一年と少しの日がたつと、あなたがたはわななく。ぶどうの収穫がなくなり、その取り入れもできなくなるからだ。のんきな女たちよ。おののけ。うぬぼれている女たちよ。
わななけ。着物を脱ぎ、裸になり、腰に荒布をまとえ。胸を打って嘆け。麗しい畑、実りの多いぶどうの木のために。いばらやおどろの生い茂るわたしの民の土地のために。そして、すべての楽しい家々、おごる都のために。なぜなら、宮殿は見捨てられ、町の騒ぎもさびれ、オフェルと見張りの塔は、いつまでも荒地となり、野ろばの喜ぶ所、羊の群れの牧場となるからだ。』

■O:今日のコラム
今、栄えているものは衰え、代わりに上からのものが栄えるようになります。バプテスマのヨハネの宣言のようにです。『私は衰え、主が栄えなければならない。』今、世の物で満たされていても、それは必ず失われていきます。それも突然にです。しかし、上からのものは、ますます満ちあふれるようになるのです。私たちがキリストにあってよみがえらされたのなら、上にあるものを求めましょう!
のんきな女とありますが、この「のんき」は「安逸」とも訳されます。「うぬぼれ」も英語の聖書(KJV)では、ケアレスで無頓着というような意味で似ている表現です。これは世の物に酔いしれている状態をさしています。眠った状態とも言えます。ラオデキア教会の状態とも言え、大バビロンのスピリットの影響を受けているとも言えます。
だから、11〜12節にあるように、熱心に悔い改めて、目に見えない、まだ得ていない本当のいのちを強く求める生き方が重要です。ラオデキア教会も、世のもので酔いしれていないで、本物を得るために、熱心に悔い改めなさい、と命じられたのです。着物を脱ぐことはプライドを脱ぎ捨てる事です。裸になる事は隠し事を神の前にしない事です。荒布をまとう事、胸を打ち叩く事は悔い改めを指します。
どれだけ、世のもので満たされようと、天にあるもの、上からのもので満たされなければ貧しい状態なのです。霊的な目が開かれる事を求めて、本物を求めて、毎日、熱心な悔い改めを主と共にしていきましょう!熱心に悔い改めて、イエス様を求めるのです!

『もしまだ見ていないものを望んでいるのなら、私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。』(ローマ8:25)

■A:考えてみよう
まだ得ていない、まだ見ていないものを求めて熱心に悔い改める。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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