■S:今日の聖書の言葉

ヨシュア記10章12-14節(ヨシュア記9章)

★【主】がエモリ人をイスラエル人の前に渡したその日、 ヨシュアは【主】に語り、 イスラエルの見ている前で言った。「日よ。 ギブオンの上で動くな。月よ。 アヤロンの谷で。 」
民がその敵に復讐するまで、日は動かず、 月はとどまった。これは、 ヤシャルの書にしるされているではないか。 こうして、 日は天のまなかにとどまって、 まる一日ほど出て来ることを急がなかった。
【主】が人の声を聞き入れたこのような日は、 先にもあとにもなかった。 【主】がイスラエルのために戦ったからである。

■O:今日のコラム
約束を守るということは簡単なようで難しい時があります。私たちは子どもの頃から約束を守ることをよく教えこまれていると思います。しかし、大人になる過程で様々な経験をし、「約束を守らなくてもいいのではないか」と考えてしまう時も出てくるものです。

今日の聖書の箇所はヨシュアが本来敵であるギブオンの民に騙され、盟約を結んでしまいます。ヨシュアの率いるイスラエルの民からはそのことでヨシュアと長老に対する不満の声があがります。しかし、ヨシュアは敵とわかっていながらギルガルの人たちを殺すことはせず、彼らを主の祭壇のためにたきぎを割る者、水を汲む者として生かしておきました。

「ヨシュアは彼らにそのようにし、 彼らをイスラエル人の手から救って、 殺さなかった。
こうしてヨシュアは、 その日、 彼らを会衆のため、 また【主】の祭壇のため、 主が選ばれた場所で、 たきぎを割る者、 水を汲む者とした。 今日もそうである。」(ヨシュア9:26-27)

ヨシュアは誰からなんと言われようと、主の前で誓った約束を守り通しました。その結果、何が起こったでしょうか。それが今日の聖書のみことばです。そうです。ヨシュアが主にお願いすると、なんと丸一日太陽が動くのが止まったというのです。しかも、

「主が人の声を聞き入れたこのような日は、 先にもあとにもなかった。」

というのです。

もう一度言います。このような奇跡が起こったのはヨシュアの誠実さの故です。

このメッセージは、私たちの愛する稲福先生から教えて頂いたことです。主が全地宇宙を造られた時には、すべてが絶妙なバランスで創造されました。地球の公転軌道が僅かにずれてだけで地球所の水が蒸発してしまったり、凍ったりしてしまうそうです。また、すべての天体はお互いの引力でバランスを保っています。
そのような中で太陽が止まってしまうとはどういうことでしょうか。これは、太陽が止まってしまうのではなく、地球の回転が止まるということです。そうするなら、すべての天体も止まらなければバランスが崩れてしまいます。
つまり、ヨシュアの一言によって、太陽だけでなく、全宇宙がストップしてしまったのです。

ここでもう一度考えてみてください。人の一言で全宇宙を動かす。そのような事は起こりえるのでしょうか。もちろん起こります。そのためのキーワードは誠実と従順です。

「人がもし、 【主】に誓願をし、 あるいは、 物断ちをしようと誓いをするなら、 そのことばを破ってはならない。 すべて自分の口から出たとおりのことを実行しなければならない。」(民数記30:2)

ヨシュアはこの律法を知っており、これを守ったのです。
確かにイエス様の福音、十字架の死と葬りと復活の恵みは誰でも無条件で受けることが出来ます。しかし、その先、私たちの内なる人が成長していくためには条件が課せられます。それが聞き従うということです。

「するとサムエルは言った。「【主】は【主】の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、 その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。 聞き従うことは、 いけにえにまさり、耳を傾けることは、 雄羊の脂肪にまさる。
まことに、 そむくことは占いの罪、従わないことは偶像礼拝の罪だ。あなたが【主】のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた。 」」(1サムエル15:22-23)

主は恵み深い方です。愛のお方です。しかし同時に、主はご人格を持っておられます。ですから、私たちが愛する親しい友に無礼をしないのと同じように、それ以上に主に対しては私たちの人格と主のご人格を持って交わる必要があります。
ですから、私たちは主の戒めをいやいや守るのではなく、その本質を知り、喜んで守る必要があります。それがご人格を持った神様との交わりというものです。

ヨシュアはギブオンとの盟約が不利であることをわかっていながら、主との約束を優先しました。その結果、ヨシュアが戦うのではなく、主ご自身が戦ってくださったのです。

「そもそも、 互いに訴え合うことが、 すでにあなたがたの敗北です。 なぜ、 むしろ不正をも甘んじて受けないのですか。 なぜ、 むしろだまされていないのですか。」(1コリント6:7)

ヨシュアは幼子のように主の戒めを聞き、それを忠実に守りました。私たちもどんな小さな主の戒めもないがしろにすることはせず、ヨシュアのように忠実に主に従うものとなりたいものです。

「小さい事に忠実な人は、 大きい事にも忠実であり、 小さい事に不忠実な人は、 大きい事にも不忠実です。」(ルカ16:10)

■A:考えてみよう
私の口のことばは大丈夫だろうか。私たちは神の似姿に造られた神の子どもです。神は創造のはじめ、みことばを持ってすべてのものを創造されました。それなら、子である私たちにも同じ性質があります。
つまり、私たちが普段何気なく口にする一言ひとことは実現しなければならないのです。何気なく「あの人むかつく」とか、「ああ、疲れた」「もう死にたい」などとつぶやくものなら、そのとおりにならなければならないのです。

私たちの口は呪いのためにあるのではなく、主を賛美するために造られたものです。その本来の目的に立ち返りましょう。

では、どうすればこの暴れん坊の口を制することができるのでしょうか。もし自分で口を制することが出来ないのであれば、強制的に従わせる必要があるのです。どのように従わせるのでしょうか。そのために最も有益なのがみことばの音読です。

特に福音書はイエス様の御口からでたお言葉が記されています。私たちが繰り返し福音書を音読するなら、口がイエス様のことばを覚えてしまいます。そして、知らないうちに私たちの考えが主の考えに変えられていきます。

ですから、みなさんにチャレンジします。福音書を一週間で通読しましょう。一日約13章ずつ音読すれば7日間で福音書を読みきれます。そのために必要な時間は一日約1時間です。
これを続けていくなら、私たちの口はどうなっていくのでしょうか。イエス様と同じような口になっていくと信じます。つまり、人を励まし、人々の徳を高め、癒やしをもたらし、解放をもたらしてきます。これは預言です。

しかし、これらはのみことばの預言はまず人ではなく自分の魂に言い聞かせる必要があります。地味なことかもしれません。誰にも評価してもらえないかもしれません。しかし、一人で奥まった部屋で福音書を朗読し続けるなら、奥まった部屋で聞いておられる天の父がみなさんに報いて下さいます。共にいのちの日の限り、みことばの音読を続けていきましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しゅん 】

カテゴリー: マナメール

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2 個のコメント


  1. しゅんさん、アーメンです。
    マナメール恵まれました。
    シェアーさせていただきますね。

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