■S:今日の聖書の言葉

コリント人への手紙 第一 5章8節(詩篇49篇)

★ですから、 私たちは、 古いパン種を用いたり、 悪意と不正のパン種を用いたりしないで、 パン種の入らない、 純粋で真実なパンで、 祭りをしようではありませんか。

■O:今日のコラム
今日の通読箇所は、どちらかと言うと多くのクリスチャンは読み飛ばしたくなるような箇所ではないかと思います。ここで主に語られているのは、不品行に関してです。

「あなたがたの間に不品行があるということが言われています。 しかもそれは、 異邦人の中にもないほどの不品行で、 父の妻を妻にしている者がいるとのことです。 」(1節)

聖書が言う不品行とは性の乱れです。聖書を読む時、私たちはソドムとゴモラから始まり、モーセが山で律法を授かっている間のイスラエルの民の行動など、様々な箇所に不品行を見ることが出来ます。
それではみなさんに質問です。不品行のあるところに神の祝福はあったでしょうか。
残念ながらありません。そこにあるのは義なる神の裁きです。

その裁きは不品行を犯した人を滅ぼすためでしょうか。あるいはそうかもしれません。しかし、滅ぼすのはその人の肉の性質であって、そのことによってその人に悔い改めが生じて、その人の霊が主の日に救われるためです。

「このような者をサタンに引き渡したのです。 それは彼の肉が滅ぼされるためですが、 それによって彼の霊が主の日に救われるためです。」(5節)

また、不品行と偶像礼拝は、密接に関わっています。不品行のあったコリントは他の神々がたくさんある偶像の街だったと言うことを聞いたことがあります。
ソロモンにはたくさんの妻がいましたが、他の神々を礼拝する妻を通して偶像礼拝がもたらされ、その結果ソロモンの人生の最後の方は虚しいものとなりました。

さて、この不品行は誰を指して言っているのでしょうか。イエス様にまだ出会っていない人たちでしょうか。違います。みことばにはこのように書かれています。

「それは、 世の中の不品行な者、 貪欲な者、 略奪する者、 偶像を礼拝する者と全然交際しないようにという意味ではありません。 もしそうだとしたら、 この世界から出て行かなければならないでしょう。私が書いたことのほんとうの意味は、 もし、 兄弟と呼ばれる者で、 しかも不品行な者、 貪欲な者、 偶像を礼拝する者、 人をそしる者、 酒に酔う者、 略奪する者がいたなら、 そのような者とはつきあってはいけない、 いっしょに食事をしてもいけない、 ということです。」(10, 11節)

そうです。信じる私たちに向けられたみことばなのです。
海外の教会では同性愛を認めたり、また、ふさわしくない夫婦関係を持ったまま大きな働きを続けている人がいると言うことを聞いたことがあります。もちろん、そのような人にも配慮する必要があります。主が愛される魂のうちの一つですから。
しかし、妥協はしてはいけません。聖書ははっきりをそれらのことをNOと言っています。
不品行がはびこる時代、それが教会の中にまで入ってくるこの時代こそ、私たちは神のことばにしっかりと立つ必要があります。
世の中の価値基準ではなく、聖書の価値に基準を置くことが今まで以上に求められる時代です。

今日の通読箇所の最後はこのように締めくくられています。

「 外部の人たちをさばくことは、 私のすべきことでしょうか。 あなたがたがさばくべき者は、 内部の人たちではありませんか。 外部の人たちは、 神がおさばきになります。 その悪い人をあなたがたの中から除きなさい。」(12, 13節)

これは、私たち信じるものとも取ることが出来ますが、もう一つの考え方として、私たちの内なる人と外なる人というとらえかたも出来ます。
外なる人、つまり私たちの見える部分、肉体はやがて滅びます。しかし、私たちの見えない部分、つまり私たちの内なる人は永遠に残ります。
私たちがみことばを通して注目しなければならないのは、この内なる人です。
私たちがさばくべきは私の内なる人です。
では、何によって裁くのでしょうか。唯一、みことばによってのみ裁くことが出来ます。真実の正しさ、誠の義が無ければジャッジが出来ません。その真理を教えてくれるのがみことばです。
みことばの剣によって内なる人の魂と霊との分かれ目を刺し通していただき、私たちの内にキリストが形作られるまで、恐れおののきつつ救いの達成を目指して走っていきましょう。

■A:考えてみよう
私の内に霊的な不品行はないだろうか。毎朝、テレビで占いなどを見て、それに左右されたりしていないだろうか。また、実際的に明るみに出すことができない不品行の問題を持っていないだろうか。
もしそれらを持っているなら、それは聖書の価値から言うととても危険なことです。旧約聖書の時代なら、石打で殺されなければならない程の罪です。
しかし、神はその豊かな哀れみのゆえに、私たちを生かしてくださっています。この恵みの時代に、私たちは自らの罪を主に告白して、私たちの内の罪をイエス様の血潮によって洗い流していただきましょう。

そのためにも、「イエス様の血潮を宣言する祈り」 https://artofgod.jp/?pid=101404761 を毎日声に出して宣言していきましょう。これは、私たちの内なる人を力強く建て上げるのにとても有益です。

私たちが血潮によって清められ続ける状態で主を礼拝すること。それがパン種の入らない、 純粋で真実なパンで、 祭りをするということです。日々、血潮によって清められ続けていきましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しゅん 】

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