■S:今日の聖書の言葉
申命記34章4節(コリント人への手紙第一2章)

★『そして主は彼に仰せられた。「わたしが、アブラハム、イサク、ヤコブに、『あなたの子孫に与えよう』と言って誓った地はこれである。わたしはこれをあなたの目に見せたが、あなたはそこへ渡って行くことはできない。」』

■O:今日のコラム
モーセは、40年間荒野を旅し、求めていた約束の地を見る事が許されましたが、入る事が許されませんでした。ここには、神の計画があります。
現代の私たちに置き換えるならば、約束の神の国をビジョンとして、啓示として見る事が許されたが、目に見える形でこの地上に現れる事を生きながら味わう事が許されなかった、という事とも言えるのではないでしょうか?
生きながら約束の相続、神の国の到来、を見る事ができる方もいるでしょう。そして見る事が出来ない方もいるでしょう。「この中には、神の国が力をもって来るのを見るまで死なない者がいます。」と言った主の言葉が思い起こされます。
しかし、ルターが「私は、明日、イエス様が再臨するとしても、今日、リンゴの苗を植える」と言った言葉のように、どちらであっても次世代に、与え、伝える責任を持っています。次世代に受け継ぐものの中心は、主を恐れる事と神の知恵である御言葉です。
ダビデがソロモンにこれを受け継がせ、そして、主の再臨後の統治、千年王国の雛形であるソロモンの統治に入った事からもそれを見る事ができます。ソロモンはダビデの心に従って、知恵を求めました。それは御心にかなったのです。
モーセとヨシュアにも似たような光景を見る事が出来ます。

『ヌンの子ヨシュアは、知恵の霊に満たされていた。モーセが彼の上に、かつて、その手を置いたからである。イスラエル人は彼に聞き従い、主がモーセに命じられたとおりに行った。』(申命記34:9)

御霊には、はかりごとと能力の霊、悟りの霊などの呼び名があるにも関わらず、「知恵の霊」と書かれているのは意味がある事です。そしてそれがモーセによってもたらされた事が書かれています。(もちろん大きな意味では主が与えたのですが)

このように世代を超えて神の願い、召しを受け次ぐ事がなされる事は神の計画しておられる事です。父の願いを子が受け継いで神の国を到来させる代表選手は、もちろんイエス様です。そして、ここにあるモーセとヨシュア。またダビデとソロモン。また、エリヤとエリシャもそうです。エリヤの召しは、エリヤでは、成し遂げられず、エリシャによって成し遂げられました。
子に伝える事も重要ですが、実は、もっと重要な事があります。それは自分自身が父から受け取る事です。私たちが父から霊的な資産を受け継ぐ事を受け入れるなら、私たちの子の世代も私たちが継がせようとするものを受け入れ、実現させていくでしょう。
そうして、「私の名はとこしえにアブラハム、イサク、ヤコブの神である」と言われた、3世代を完成させる主の御心が成し遂げられ、イスラエルが生み出されるのです。

■A:考えてみよう
父世代から受け継ぎ、子の世代に伝える。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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