■S:今日の聖書の言葉
詩篇25:12,14
★「主を恐れる人は、だれか。主はその人に選ぶべき道を教えられる。 」
「主はご自身を恐れる者と親しくされ、ご自身の契約を彼らにお知らせになる。 」
■O:今日のコラム
主を恐れる者とはどういう者でしょうか? 聖書の中にはたくさんの主を恐れる者が登場します。
よく取り上げられる人物としてダビデがいます。 ダビデはいつも主を恐れました。
反対にダビデの前の王様であったサウルはいつも人を恐れました。
(箴言29:25)
「人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。 」
この箴言の言葉にある通りサウルは人を恐れてしまった故に間違った行動をして最後には自分の身を滅ぼしてしまいました。 逆にダビデはどんなに難しい状況や環境にあっても主に信頼し続けたので守られることとなりました。
(詩篇33:18)
「見よ。主の目は主を恐れる者に注がれる。その恵みを待ち望む者に。 」
主を恐れる者に主の目は注がれます。
この主を恐れるのヘブル語の言葉は「ヤーレー」という言葉が使われています。
この言葉は恐れる、恐れ畏む、怖がる、敬う、尊敬する。という意味があります。
(箴言8:13)
「主を恐れることは悪を憎むことである。わたしは高ぶりと、おごりと、悪の道と、ねじれたことばを憎む。」
主を愛し尊敬するが故に起こることは悪(罪)を憎むことです。主の言葉におののき主にへりくだる者にこそ、主が目を留めてくださるのです!
(イザヤ66:2)
「これらすべては、わたしの手が造ったもの、これらすべてはわたしのものだ。──主の御告げ──わたしが目を留める者は、へりくだって心砕かれ、わたしのことばにおののく者だ。 」
本当にへりくだった者とは主の御言葉の通りに歩む者です。
私たちのうちにある自己卑下や自己憐憫、間違っている高ぶりを主の御言葉によって洗い清めていただきましょう。
人と比較して自分の評価を決めることを聖書は知恵のないことと言っています。
(第二コリント10:12)
「私たちは、自己推薦をしているような人たちの中のだれかと自分を同列に置いたり、比較したりしようなどとは思いません。しかし、彼らが自分たちの間で自分を量ったり、比較したりしているのは、知恵のないことなのです。 」
主を恐れることは知恵の初めであり、知恵そのものです。主を恐れることを求めていきましょう。
(ヨブ28:28)
「こうして、神は人に仰せられた。「見よ。主を恐れること、これが知恵である。悪から離れることは悟りである。」 」
■A:考えてみよう
主以外のもので何かを恐れてしまっている心があるだろうか。
状況、環境、問題に恐れてしまうことがあるだろうか。
主はどんな時でもわたしがともにいるから恐れるなと言われます。
私たちが主を恐れる時にすべての問題と困難は解決されていきます。
主だけを恐れる力を聖霊様によって与えられることを祝福します。
(イザヤ41:10)
「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。 」
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 れい 】
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