■S:今日の聖書の言葉
マタイの福音書17章17節

★イエスは答えて言われた。「ああ、不信仰な、曲がった今の世だ。いつまであなたがたといっしょにいなければならないのでしょう。いつまであなたがたにがまんしていなければならないのでしょう。その子をわたしのところに連れて来なさい。」

■O:今日のコラム
自分が誰かに対して誠実さ、忠実さを尽くしているのに疑われたことはあるでしょうか?

私は足りないなりに、心を込めて子育てをしています。もし、子どもたちが「この人は、ちゃんと僕たちを育てられるんだろうか…」と信頼してもらえないなら、親として私の心は痛むでしょう。

誠実を尽くして大切にしている友人が、実は自分のことをあまり信用していないと知るのなら、どれほど傷つくでしょうか。

イエス様は、弟子たちの「不信仰」を嘆かれました。

信仰とは、何か腕立て伏せや腹筋のように鍛えて身につけるものではなく、主と共に歩む中で築き上げていく信頼関係です。

イエス様が嘆かれたのは、弟子たちの未熟さでも能力の足りなさでもありませんでした。

弟子たちが、主を信頼していなかったことに対して、イエス様は心を痛めました。

この後、弟子たちが

「なぜ、私たちには悪霊が追い出せなかったのですか。」(マタイ17:19)

と尋ねると、イエス様はこう答えられました。

「あなたがたの信仰が薄いからです。」(マタイ17:20)

詳訳聖書には、信仰が薄い、ということを「堅くより頼む信頼の欠如」と書かれています。

不信仰。これも実は罪なのです。

殺人、不品行、偶像礼拝、偽証、ののしり…etcこれらの目立つ罪と違い、地味ですが、「不信仰」は私たちクリスチャンの歩みのうちにひっそりと存在し、でも大きな影を落とす、あなどれない罪なのです。

黙示録にもそのことがはっきりと記されています。

「しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行なう者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」(ヨハネの黙示録21:8)

私たちは、ますます天の父と信頼関係を築いていきたいです。信頼関係は、日々の歩みで築かれていくものです。また、主を信頼して、自分にとって不可能と思えることに立ち向かったり、この方を信頼して、道がないような所に踏み出す時に、その信頼は益々揺るぎないものへと確立されていきます。

これが、信仰です。

私たちが信仰を働かせて(御父を信頼しきって)祈るのなら、それは必ず聞かれます。奇跡をもたらします。失望はありません。

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。」(ヘブル11:6)

その逆を言うなら、私たちの信仰(主に信頼する心)を見る時、主はそれを喜ばれます。

主は私たちを信頼して、この地を治めるようにと、私たちを王とし、この地を任せて下さっています。

それならば、私たちもこの、忠実なる方、真実なる方に、ますます私たちの信頼をおいてゆきましょう!

そして、益々信仰を働かせて、力強い歩みをしてゆきましょう!

「信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」(ヨハネ20:27)

「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」(ルカ1:45)

■A:考えてみよう
自分のうちに「不信仰」はあるだろうか。自分の信仰生活の中で、神様への信頼が充分でない部分は無いだろうか。

■P:祈り
主よ。私のうちにある不信仰を悔い改めます。あなたには無理だと思っていたことを、許して下さい。

自分の力でなんとかなる範囲で生きていたことを、許して下さい。

これからは、あなたが真実な方であり、みことばに書かれていることのすべてが真実であることを握り、あなたを堅く信頼することが出来ますように。聖霊様、どうぞ助けて下さい。

あなたは、いつも良いお方であることを感謝し、御名をほめたたえます。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 みちる 】

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