■S:今日の聖書の言葉
マタイ14章28〜31節(ヨブ記14章)
★すると、ペテロが答えて言った。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」
イエスは「来なさい」と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。
ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ。助けてください」と言った。
そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」
■O:今日のコラム
夜中の3時ごろのガリラヤ湖の真ん中で、弟子たちの乗った船は、風と波とで前に進めず、悩まされていました。周りは、真っ暗闇で大波と風の中、月の明かりでぼんやり見える視界の中に、10m位離れた所を動いている、白い何かが見えました。
(声が聞こえたのでこの位の距離でしょう)恐怖の中で、「私だ」という声がかかりました。その声でひょっとしたらイエス様じゃないのか?と皆が考えだしました。そんな状態で、船酔いもしない(もと漁師)ペテロの反応は素晴らしいものでした。「主の元まで来るように、お言葉をください」と発言したのです。
この状態は、実は現代の私たちに当てはまります。ハッキリ、イエス様をこの目で見る事は出来ません。しかし、御声を聞く事ができるのです。そして、毎日、イエス様の元に行くための御言葉を求めているのです。求めるならば、その人にイエス様は語りかけてくださいます。御言葉を求めましょう!
そして、語られたなら、必ずと言って良いほど私たちには、信仰のチャレンジがあります。ペテロは御言葉を受け取って従順し、船から出て行きました。普通に考えたらクレイジーな事です。ハレルヤ!アブラハムも御声を聞いて、テラが思わず留まってしまうほどに住みやすいハランの地を出て、行った事も無いカナンに旅立って行きました。これもクレイジーです。
もちろん怖くなって失敗してしまう事はあります。しかし、その中で「助けてください」と祈れば、イエス様は手を伸ばし助けてくださるのです。恐れる必要は無いのです。これを見ていて、初めて立って歩く赤ちゃんや、初めて自転車に乗る子どものようだと感じます。怖くなったらいつも主は支えてくださり、助けてくださり、その事でも主に対する信頼関係が増し加わっていきます。一回でうまくいく事も素晴らしい。そして、失敗して、主の御手を味わい、またトライする事も素晴らしいのです。
ペテロは風を見て怖くなったために失敗しました。もちろん風は目に見えないので、風によって荒れ狂う波を見て恐ろしくなったのです。それを「風を見て」とい表現している事には意味があると感じます。その困難は風(ヘブル語では、風は霊、また御霊をも表します)、つまり主によって引き起こされているのです。主が海(この世に属する被造物たち)を荒れ狂わせる事の後ろで働いておられます。何で、こんなめんどくさい事をするのか?と思われるかも知れません。
その答えが31節です。「信仰の薄い人だな」です。これは、信仰のテストなのです。ペテロが船を出る事も信仰のテストであり、アブラハムがハランを出る事も、イサクを捧げた事も信仰のテストです。主は、信頼関係を養いたいと願っておられ、私たちに語りかけてくださるのです。主は、この地上に完全な統治をもたらす事に本当は私たち抜きでもたらす事が一瞬でできます。しかし、私たちとの関係を大切にしているのです。だから、その意義とか、合理性とかにこだわらず、私たちは、主の仰せに聞き従う歩みをしていきましょう!
■A:考えてみよう
御声を求め、安全地帯から出て行き、聞き従って歩む
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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