■S:今日の聖書の言葉
ハガイ書2章4節

★しかし、ゼルバベルよ、今、強くあれ。主の御告げ。エホツァダクの子、大祭司ヨシュアよ。強くあれ。この国のすべての民よ。強くあれ。主の御告げ。仕事に取りかかれ。わたしがあなたがたとともにいるからだ。…

■O:今日のコラム
主の霊に奮い立たせられ、神殿再建のために立ち上がった民らが、今度は周囲の敵の激しい妨害に会い、希望は失望に変わります。工事再開のめどは立たず、結局、神殿再建の工事は18年間も中断してしまいました。

周囲の敵の妨害によって疲れ果て、長い間彼らは神様を中心の生き方よりも自己中心的な生活を第一とする生き方へと変わっていきました。そんな民たちに、再び主は預言者ハガイを通して語られました。それが今日の「強くあれ。この国のすべての民よ。」というメッセージです。

私たちも同じことを経験することがあります。奮い立って主の前に決心したことを、問題や試練が来ると簡単に手放してしまうのです。箴言のみことばに、「もしあなたが苦難の日に気落ちしたら、あなたの力は弱い。」とありますが、私たちは苦難に対して本当に弱いものです。しかし、主はそんな私たちに「強くあれ。私があなたと共にいる」と励まして下さっています。

主は現代の教会に対しても語っておられます。キリストの花嫁なる教会は、旗を掲げた軍勢のように恐ろしい教会でなければなりません。それなのになぜ教会は弱いのでしょうか?その問題の一つに、聖書の読み方にあるかもしれません。私自身、いくら読んでも内側が変革されないということを何度も経験しています。

聖書では、みことばを食べなさいと言っています。研究しなさいとは言っていません。食べる時は口を使いますね。また、勉強する時は頭を使います。「口づさむ」「朗読する」ということはみことばを食べることなのです。

それなので、重要なのは、みことばを理解しようとするのではなく、みことばを口づさむことです。理解する前にみことばを口づさみ、それを内面に植えつけるのです。そして、お腹に蓄えて入れたものが頭に上っていき、啓示が開かれていきます。

みことばを食べることは、ただお腹に蓄積する…ということではなく、みことばのように感じ、考えるようになるということです。私たちの思い考えがそのように造り変えられていきます。

このような読み方をしていたのが、初代教会でした。初代教会はみことばの朗読を中心としていました。終わりの時、私たちに初代教会のような信仰の歩みが回復されなけれはまなりません。私たちを強くするのは人からの甘い言葉でも耳に良い預言でも心温まるメッセージでもありません。日ごとの糧が私たちを強くし健康にします。みことばを口づさむことが私たちの霊の糧です。試練が来ても、どんな揺り動かしが来ても、決して倒れない、勝利する教会を建て上げましょう。

「この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める人々は幸いである。時が近づいているからである。」(黙示録1:3)

「だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。
雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。」(マタイ7章24~25節)

■A:考えてみよう
詩編1篇を声に出して朗読しましょう。

「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。
まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。
悪者は、それとは違い、まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。
それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、罪人は、正しい者のつどいに立てない。
まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。しかし、悪者の道は滅びうせる。」

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ひさえ 】

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