■S:今日の聖書の言葉
ペテロの手紙 第二 1章19節(ナホム1章)
★「また、私たちは、さらに確かな預言のみことばを持っています。夜明けとなって、明けの明星があなたがたの心の中に上るまでは、暗い所を照らすともしびとして、それに目を留めているとよいのです。」
■O:今日のコラム
今日の箇所、ペテロの手紙第1の1章は預言についての章です。
預言とは何でしょう?
預言とは何かを言い当てたりする占いとは違います。似て非なるものです。預言は、なかなか理解するのが難しい分野とされています。
預言には、2つあります。
1つ目の預言は『預言の賜物』です。第1コリント14:3b,4で「預言する者は、徳を高め、勧めをなし、慰めを与えるために、人に向かって話します。 異言を話す者は自分の徳を高めますが、預言する者は教会の徳を高めます。」とあるように、預言の賜物とは、教会、すなわち人を建てあげるものであり、預言の賜物は熱心に求めるべきものだと言われています。
預言の賜物とは基本的に人の過去や現在の罪や失敗、人の将来を言い当てるものではなく、人を励まし、慰め、建てあげてゆくものでなくてはなりません。
預言の賜物は真理そのものではなく、真理への道標の役割をします。
預言の賜物は真理の全てではありません。
「私たちの知っているところは一部分であり、預言することも一部分だからです。」(第1コリント13:9b)
これから益々、預言の賜物は日本の教会の内に開かれてゆくでしょう。
そこで、覚えておかなければならないのは、実は人間的な肉的な方法で、人は「霊的」になり過ぎることがある、ということです。
預言の賜物は、人を建てあげ、励まし、慰める素晴らしいものでありますが、私たちは預言の賜物を持つ人を通して語られた預言にとらわれ過ぎてはいけないのです。
私は預言の賜物が悪いと言っているのではありません。私自身も、教会を建てあげるために是非豊かに与えられたいと求めている賜物であります。
しかしながら、私たちは、預言やあらゆる奇跡にとらわれるのではなく、神様ご自身にとらわれなくてはなりません。
決して変わることがない、主ご自身である、御言葉にとらわれなくてはなりません。
もう1つの預言、それは今日の箇所にも記されている『預言のみことば』です。
私たちが聖書のみことばを宣言する時、それこそがまさに揺るぎない預言であります。
これには、誰も付け加えることも引くことも出来ません。
「すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。
なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。」(2:20b,21)
「夜明けとなって、明けの明星があなたがたの心の中に上るまでは、暗いところを照らすともしびとして、それ(みことば)に目を留めているとよいのです。」とペテロは勧めています。
暗闇の中で、私たちが見つめるべきものは「預言のことば」、神ご自身である聖書の御言葉です。
とこしえに変わることのないお方のことば、聖書のみことばの上に今日も堅く立っていきましょう!
■A:考えてみよう
是非、自分の口で、揺るぎない預言、つまり聖書の御言葉を宣言しましょう。
私たちの思いが、人間的な事柄、否定的なもの、この世的なもので満ちている時、その預言のことばによって、主の思いが私たちの思いとなっていきます。ハレルヤ!
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 みちる 】
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