■S:今日の聖書の言葉
1ペテロ2:19〜21

★人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。 罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行なっていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。

■O:今日のコラム
1ペテロ2:19、20節に書かれている「神に喜ばれる」の「喜ばれる」という箇所は、ギリシャ語でCHARISという言葉が使われており、「恵み」という意味で他の聖書箇所では訳されていることが多い。「不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえること」、「善を行なっていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶこと」は、この訳を適用するならば、神に与えらた恵みであると解することもできるであろう。

その他にも同じような意味のことが書かれている聖書箇所がある。

「いや、たとい義のために苦しむことがあるにしても幸いです。」(1ペテロ3:14)
「もし、神のみこころなら、善を行って苦しみを受けるのが、悪を行って苦しみを受けるよりよいのです。」(1ペテロ3:17)

また、山上の垂訓の最後にも義のために迫害される者は幸いであると教えている。

1ペテロ2において、続く21節によれば、私たちは、実にそのために召されていると書かれている。クリスチャンであるならば、多かれ少なかれ義のために迫害されるというプロセスを通されるのであろう。イエス様も同じ苦しみを通され、十字架についた。イエス・キリストに従う者は、誰しもがそのようなSTEP(足跡)を踏むように召されているのだと思う。

「このように、キリストは肉体において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。」(1ペテロ4:1)
■A:考えてみよう
神様を愛する愛ゆえに、みことばに聞き、みことばに従順する歩みをして行きたい。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 あいこ 】

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