■S:今日の聖書の言葉
ヘブル4:10
★神の安息に入った者ならば、神がご自分のわざを終えて休まれたように、自分のわざを終えて休んだはずでした。
■O:今日のコラム
安息とは、「肉体的または精神的な労働を中断し、労苦や悩みから解放されて平安のうちにある状態を言う」と新聖書辞典(いのちのことば社、1985年)に記されていたのを見ました。
とても分かりやすい解説だと思います。そして、安息することの重要性を改めて感じられます。
Resting in Godー神様のうちに安息することは、とても大切なことであると思います。
そして、神様のもとに行く以外安息はないこと、神様のうちでしか安息ー労苦や悩みから解放され、平安を得ることーは得られないと、信仰により安息に入ることが書かれているヘブル人への手紙4章を読み、改めて実感しています。
しかし、この安息には「力を尽くして努めて」入るようにしなければならないと11節にあるように、また「信じた私たちは安息に入るのです。」と3節にあるように、簡単に安息に入れないときもあると思います。
力を尽くして努めなければならないときがあると思います。
そして、安息は労苦や悩みから解放されて平安な状態ですから、神様と神様の御言葉に信頼しきっていないと安息に入れないことがあると思います。
働きや、自分もしくは人が自分に対してこうでなければならないと思っていること、悩みや不安、痛み、思い煩い、過去や今の状況、人の言葉などを握っていると、安息にはなかなか入れなくなります。
今日の箇所にあるように、自分のわざを終えて休めばいいことなのですが、自分のわざを握って休むことができないと、安息に入れないのです。
私自身も安息が必要だとずっと思っていましたが、なかなか安息に入れないときー労苦や悩みから解放され平安を持てないときーが多くありました。
これを手放したら、全て失ってしまうのではないかと思ったり、
神様と神様のことばに信頼しきれずに自分の思いや人の言動、状況を手放せずにいたからです。
しかし、私には今も安息が必要です。
安息の中でこそ、真の解放、癒し、回復、平安があると信じています。
安息の中で、親しい神様との交わりがあり、その中でこそ新しい力を得ることを信じています。
半年ほど前に、ある祈り手に、私は安息のために休むことについて話したとき、このように言われたのを思い出します。
「安息はとても大事なこと。私たちは皆安息が必要で、安息することを学ぶことはとても大事。
しかし、人にとって「安息する」ことが難しいということが多い。
それは、働き人を含めて人は、目に見えた働きや目に見えてまた実感的に進んでいる、前進していることをする方が簡単であるから、そっちをしたがるから。
それとは逆に、安息していると、目に見えて力強く進んでいないように感じてしまうから。
でも、神のうちに安息するとき、神様が私たちの上に安息される。」
■A:考えてみよう
きょう、もし御声を聞くならば、私の心をかたくなにしたくないと願います。
安息に入ることを願います。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 ありさ 】
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