■S:今日の聖書の言葉
ルカの福音書21章37節(箴言21章)
★さてイエスは、 昼は宮で教え、 夜はいつも外に出てオリーブという山で過ごされた。
■O:今日のコラム
イエス様は愛と律法が形となってこの地に来られたお方です。神でありながら人としてこの地に来られ、何一つ罪を持っておられなかったお方です。私たちはイエス様に習うものとしてこの地で歩んでいます。そうであれば、イエス様が人として歩まれたその歩みを見習う事が弟子としての歩みです。
今日の聖書の箇所は、イエス様が「ホサナ!ホサナ!」と言う掛け声とともに、人々に歓迎されながらエルサレムに入ってこられ、これから過ぎ越しの祭をお祝いするその間の期間です。この過ぎ越しの祭は最後の晩餐としても知られるものです。つまり、十字架を目前にしている所です。
イエス様は天の父といつも共に歩まれていたので、この来るべき過越しのあと、ご自分が十字架にかかられるという事をご存知でした。その世場面でイエス様はどのように歩まれたのでしょうか。それはとてもシンプルです。
祈りとみことばの生活です。
イエス様が最後の目的地であるエルサレムに入られて行っていた事は、祈りとみことばであると言えます。「昼は宮で教え」とは、みことばを教えられたという事です。また、「夜はいつも外に出てオリーブという山で過ごされた」とあります。イエス様はオリーブ山で何をして過ごしておられたのでしょうか。それは祈りです。イエス様は小高い山であるオリーブ山からエルサレムの神殿を見下ろしながら、父の心を求めて祈っておられました。
私たちは今、終わりの時代に生かされています。何度も何度もこのマナメールで、様々な人が語っているかもしれません。しかし、やはり私たちが立ち返る場所はこの祈りのみことばの生活です。このマナメールを読んで「ああ、そうだ。わたしも祈りのみことばの生活をしなければ…。」と思ってその後すぐにFacebookなどを眺めて、そのうち忘れてしまう…。そのようなことはないでしょうか。わかったことと行っていることは違うのです。
イエス様のライフスタイルから学びましょう。これから経済が大変になっていくかもしれません。政治が揺れ動くかもしれません。経験したことないほどの天変地異を見るかもしれません。様々な事は大きく揺れ動かされていくでしょう。しかし、神の言葉は決して代わることがありません。祈りとみことばに、つまり神様との生きた関係は私たちをそのようなものから守ってくれるだけではなく、永遠への希望とつながります。
■A:考えてみよう
何度も何度もチャレンジします。祈りとみことばの生活を送りましょう。今まで毎日の生活で祈れていない人は、朝起きた瞬間に30秒でいいので祈る習慣をつけましょう。そして、スマートフォンを見る前に一節でいいので本の聖書のみことばを開き、それを音読しましょう。
すでに祈り、みことばを読めている人は更に多くの時間、また、深い領域でそれらの事が出来るように求めていきましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しゅん 】
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