■S:今日の聖書の言葉
ルカによる福音書18章節
★1 いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。
16,17 しかしイエスは、幼子たちを呼び寄せて、こう言われた。「子どもたちをわたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、入ることはできません。」
23 すると彼は、これを聞いて、非常に悲しんだ。たいへんな金持ちだったからである。
28 すると、ペテロが言った。「ご覧ください。私たちは自分の家を捨てて従ってまいりました。」
38,39 彼は大声で、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください」と言った。彼を黙らせようとして、先頭にいた人々がたしなめたが、盲人は、ますます「ダビデの子よ。私をあわれんでください」と叫び立てた。
箴言18章10~12節
★主の名は堅固なやぐら。正しい者はその中に走って行って安全である。
富む者の財産はその堅固な城。自分ではそそり立つ城壁のように思っている。
人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。
■O:今日のコラム
しゃろーむ!8月25日の朝です。今日1日も、主の臨在と主の御言葉をますます求めていきましょう。御国を求めていきましょう。天のお父さんの子どもとして、主に信頼していきましょう。主の名は堅固なやぐらだからです。
子どもの「よう」な信仰が僕らには必要です。人間的に、年齢的にも大人になってくると、ある程度の部分で「経験」というリミッターが働く時があります。この経験はとても大切ですが、いつの間にか信仰を邪魔する時もあります。いつでも祈るべきなのに、主に求めず、自分の経験の中で道を決定してしまうことがあるのです。小さな子どもたちは、いつでもお父さんやお母さんの意見を求めています。これをして良いのか?あっちに行きたい。ここに居たい。その時、お父さんやお母さんは、子どもを導いていきます。
この世のお父さんやお母さんは間違った方向へと子どもを導いてしまう時があり、失望を経験してしまう場合があります。しかし、天のお父さんに信頼する時には失望は希望へと変えられていきます。イエス様は、失望をもたらす罪からの解決のために、十字架と復活の勝利を僕らに与えてくださいました。この希望は失望に終わることはありません。
僕らが、富や名声、自分の経験に頼りを置く時には、その一つ一つを堅固な城だと思い込んでしまいます。しかし、その心の高慢は破滅に先立ちます。主にしか頼れない状況になった弟子たち、また、盲目の男、そして幼子たちは、主の平安で満たされていくことになりました。安全なとりでである主によって、主の勝利を味わう者となることができるのです。
子どものような信仰が僕らには必要です。子どものように、天のお父さんへの絶対的な信頼をもっていきましょう。子どものように、天のお父さんの存在が必要なことを宣言していきましょう。イエス様の十字架と復活の勝利を賛美していきましょう。聖霊様を歓迎していきましょう。天の御国は、そういう人のものだからです。
■A:考えてみよう
何よりもまず、天のお父さんとイエス様、聖霊様に信頼していきましょう。今日ある心配をゆだねていきましょう。『主の名は堅固なやぐら。正しい者はその中に走って行って安全である。』と宣言していきましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 ひろみち 】
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