■S:今日の聖書の言葉
ルカ5:4~5
★話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。」と言われた。するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」
■O:今日のコラム
今日の箇所は、私たちに自分の思い、自分の力を脇に置いて主のことばに従うときに、神様の力、方法で新しい御業が起こること、そして自分の限界を超えた主と主のことばを知ることを教えてくれます。
ペテロ(この箇所ではシモン)たち漁師は夜通し働きましたが、何一つ魚をとることができませんでした。
ペテロは漁師だったので、漁は仕事であり、彼の生活手段でもあり、漁はペテロにとって自分の最も得意とするものだったと思います。
漁について知り尽くしている漁のプロであるペテロたちが夜通し働いても何一つ魚をとることができなかった後に、イエス様はペテロに「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」と言われました。
「いやいや、私たちこの湖での漁は知り尽くしているんですよ。職業ですから、毎日やってるプロですよ。今日は頑張って夜通し働いても何一つ取れなかったんですから、そんな…取れる訳ないですよ。」という思いがあったかもしれません。
しかし、それだけでなく、イエス様が言ったことは、漁師にとってはあり得ない方法でした。
なぜなら、当時の漁獲法である投網は沖の深みでは魚は逃げてしまい、獲ることができなかったからです。
イエス様が漁師であるペテロに言ったことは、当時の漁師たちにとっては、魚をとる方法としては到底考えられないことだったのです。
しかし、ペテロの見習うべきところは、自分の最も得意であることを自分の力と時間を尽くしてもできなかったことは認めながらも、イエス様のことばに従ったところです。
ペテロは、絶対に無理だ、人間的な見解ではあり得ない、自分の知恵と経験からすると考えられないと思うようなことでも、主であるイエス様のことばに、みことばに従ったのです。
「もう頑張ったもん。もう一生懸命やったもん。それでも、できなかったから、もうできないよ。」と自分の限界を感じるときに、それでもイエス様のことばに従ったのです。
ペテロが自分の思い、自分の力、自分の知恵、自分の経験を脇に置いて、ただイエス様のことばに従ったとき、網が破れそうになり、舟が沈みそうなほどに、たくさんの魚がとれました。
自分の力で頑張ったときは何一つ成果がなかったけれど、イエス様のことばに従うとき、自分の思いや考え、自分の限界を遥かに超えることが起こったのです。
神様はときには、私たちが神様の力、神様の知恵、神様の方法で、自分の思いや考えを遥かに超える主の御業を経験する為に、まず私たちを自分の限界へと導きます。
自分の力ではもうできない、もう自分では限界だと、私たちの限界を悟らせるのです。
あるときは、それでも何とか自分の力で、自分の根気で、何とか人の目に上手く行っているように見えることもありますが、実際の自分の状況は良くなっていないということもあるかもしれません。
しかし、結局はダメだ、自分ではもう限界だと、行き詰まるとき、神様のみことばに従うように主が私たちを導くのです。
その時の主のことば、主の方法は、今までのやり方とは違うものかもしれません。また、自分の経験や見解からすると、あり得ないことかもしれません。
自分の目や人の目から見ると、力強い前進には見えないこと、成果が得られないと思うようなことかもしれません。時には、今までの自分の思いや考え、自分の計画とは違うことかもしれません。
それでも、主のことばに従うときに、ペテロに起こったように、私たちにも、主の方法で主の力で、新しいことが起こるのです。
そして、主の方法で、主の力で、主の御業を経験するときに、私たちは主と新しく出会うのです。
今までよりも深く体験的に主を知るのです。
主の御力を知り、主の御言葉の実現を経験し、イエス様が神であられる主であることを更に深く悟るのです。
自分の思いや考えを遥かに超えるほどの大漁にひどく驚いたペテロは「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから」と言いました。(ルカ5:8)
主のことばに従い、主の御業の大漁を経験する前は、イエス様のことを「先生」(ルカ5:5)と言っていましたが、その後では「主」とイエス様のことを呼んでいます。
主であるイエス様を体験的に知ったのです。主であるイエス様に新しく出会ったのです。
そして、主を知ったことの故に自分の至らなさ、自分の罪深さを知るようになり、主である方にすべて委ねること、従うこと、より頼むことを学んでいくのだと思います。
自分の限界を悟るとき、自分の力、知恵、方法、思いではなく、主のことばに従う者になることを求めます。
そして、自分の思いや考えでは無理だと思うとき、それでも主のことばに従い、「でも、おことばどおり、網を下ろしてみましょう。」と言う者となり、主の力、主の方法で新しいことが私に起こり、神であられる主と新しく出会い、主を知ることができますように。
■A:考えてみよう
・神様の力、神様の知恵、神様の方法で、自分の思いや考えを遥かに超える主の御業を経験することを願い、自分の思いを脇に置いて、イエス様のことばに従う。
・自分の限界を感じるとき、自分の力ではもう無理だと思うとき、その時こそ主のことばに従うなら、主の御業を経験すること、主の御力と方法で新しいことが起こることを信じること。
・主のことば、主の方法が自分や人の目に良いと思えないとき、自分の見解では無理だと思うとき、もう自分ではダメだと思うときc限界を感じるときも、主を知ることを求めること。
・前置詞「でも」を使うこと!
自分の力ではダメだった、もう限界だ、そんな方法でもできるとは思わない、無理だ…etc 『でも』神様はできる!神様に不可能はない!神様ならできる!神様のことばに従う!
マイナスな思いや考えの後に必ず、『”でも”神様のことばに従う!』と接続詞「でも」を絶妙なタイミングで使いこなすこと。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 ありさ 】
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