■S:今日の聖書の言葉
コリント人への手紙第一1章5節(エゼキエル書19章)
★というのは、あなたがたは、ことばといい、知識といい、すべてにおいて、キリストにあって豊かな者とされたからです。
■O:今日のコラム
コリント教会は、稀なほどに賜物豊かな教会でした。パウロが賜物に関する教えをし、愛がなければ賜物が活かされないという事を書き記すほどでした。異言、預言、異言の解き明かし、癒しや奇跡の賜物が豊かに注がれていました。
賜物は素晴らしいもの、なくてはならないものです。しかし、賜物にフォーカスを当てすぎると、当然起こるのは、比較して、高ぶる、落ち込むということです。またその高ぶりはへりくだる事を忘れさせ、分裂へと向かっていきます。コリント教会もそうでした。
私たちの信仰の歩みは、賜物によってすごいことをする事にフォーカスを当てるのではなく、主との関係にフォーカスを当てるものです。私たちが「あなたの名によって悪霊を追い出し、奇跡を行い、預言をしました」と言っても「関係ない。全然知らない。不法をなす者よ私から離れていけ」と言われる事は、起こりうるのです。それでも、賜物と召命は変わらないのです。ソロモンに与えた知恵が偶像礼拝をしても離れなかったようにです。ここで、パウロは、コリント教会に語ったかというと、十字架です。
私たちは、日々、悔い改め、十字架を見上げなければ、きよい良心を保てません。キリストの血潮は、私たちの良心をきよめてくれるのです。
また、キリストを通して、父との触れ合いの時間を持たなければ、懲らしめさえも、へりくだって受け取る事は出来ません。御父は、愛の懲らしめをもって私たちをきよめてくださる方ですから。賜物によって高ぶってはいけません。主との関係に生きるのです。
■A:考えてみよう
主との関係にフォーカスを当て続ける。日々悔い改めて十字架を見上げ、御父との交わりの時間を持つ。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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