■S:今日の聖書の言葉
マタイの福音書21章13節(詩篇143篇)
★そして彼らに言われた。「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている。」
■O:今日のコラム
皆さんは、イケアという北欧の家具家さんに言ったことありますか?広大な売り場には、色とりどりの家具が並び、様々なスタイルで部屋のコーディネートを提案してくれます。そこに行くといつも「ああ、こんな部屋に住みたい!」と思わされます。
私たちに住まいがあるのと同じように、神様にも住まいがあります。では、神様の住まいとは、どんなところでしょうか。今日の聖書の箇所で、イエス様は「わたしの家は祈りの家と呼ばれる」と言われています。英語で言うとHose Of Prayerです。SHOPの「HOP」の部分はこの頭文字をとっています。
部屋には住んでいる人の特徴が出ます。それから考えると、神様は祈りが満ち溢れている部屋が大好きだと推し量ることができます。神様は祈りの中に住み、いこい、安らぎ、住んでくださいます。
コリント人への手紙6章19節には、「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まわれる、神から受けた聖霊の宮であり…」とあります。私たちのからだは、聖霊様の住まわれる宮です。であれば、私たち自身も祈りが満ち溢れているのが、本来の姿です。しかし、主以外のもので心を満たしている状態、目の欲、肉の欲、暮らし向きの自慢、そういった世からでたものが心を支配していると、そこは強盗の巣になってしまいます。
当時、イエス様は宮、つまりエルサレム神殿で商売人が物を売り買いしているところに来られ、テーブルやイスを倒しながら憤慨されました。なぜいつも温厚なイエス様がこんなにも激しく怒りをあらわにされたのでしょうか。そこには大切な意味が込められていると思います。
宮とは本来、神様を礼拝するための場所です。当時、宮では納金のための両替所や、捧げ物用のハトを売る店などが立ち並んでいました。そこでは、もともと捧げ物のために必要な物を売っていたのでしょうが、人々は欲に目が眩み、いつの間にか関係ないものまでも売り始め、本来の目的からずれた商売がなされていたようです。
そこでイエス様は、宮を本来の目的に戻すためにこのような行動を取られたのです。本来の目的とは、「わたしの家は祈りの家と呼ばれる」と言うように、宮を祈りの場所、主を礼拝する場所にすることです。
また、イエス様が壊された両替の台や、ハトを売る机は、この世の富を象徴しているように思えました。イエス様が再び戻って来られた時、この世のものは壊され、倒されてしまいます。その代わりに、神の御国が力強く打ち立てられていくのです。
イエス様を信じて、それで終わりではありません。むしろそこからが新しいスタートです。「バプテスマのヨハネの日以来今日まで、天の御国は激しく攻める者たちがそれを奪い取っています」(マタイ11:12)とあるように、私たちは、激しさを持って主を慕い求めていくことも求められています。
さらに、今日の聖書の箇所を調べると、旧約聖書のイザヤ書56章7節から引用された言葉ということがわかります。「わたしは彼らを聖なる山に連れて行き、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる…わたしの家は、全ての民の祈りの家と呼ばれるからだ。」ハレルヤ!ここで、「イスラエルの民の祈りの家」と書かれているのではなく、「全ての民の祈りの家」と書かれていることに感謝します!異邦人である私たちも大胆に祈りを通して、神様との親密な時間を過ごすことができます。祈りはこの世の何にも勝る最も楽しい事です。
私たちの中にある神様以外のものを蹴り倒し、イエス様に対する思いでいっぱいにさせていただけるよう、求めて行きましょう。
最後に、注目すべきところは、イエス様が宮を清められた後、14節で盲人を癒されたという事がセットで記されていることです。祈りが満ちる所に、主の奇跡と御業は解き放たれていきます。祈りの生活を通して、天の御国をこの地に解き放ち、祝福を運ぶものとなって行きましょう!
■A:考えてみよう
私たちの生活の中に、倒れたダビデの幕屋を回復していきましょう。朝起きてから寝るまで、祈るチャスはたくさんあります。私は、自分の家を勝手にKHOP(Kichijoji House Of Prayer)と命名して、いつでも祈るようにしています。皆さんも、自分の家の町の頭文字を最初につけ○HOPと命名し、祈りの生活を送ってみてください。天の御国の祝福が、あなたの祈りを通して、この地に解き放たれていきます。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しゅん】
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