■S:今日の聖書の言葉
使徒の働き21章13節
★するとパウロは、 「あなたがたは、 泣いたり、 私の心をくじいたりして、 いったい何をしているのですか。 私は、 主イエスの御名のためなら、 エルサレムで縛られることばかりでなく、 死ぬことさえも覚悟しています」と答えた。
■O:今日のコラム
パウロは旅を続ける中で、カイザリヤというところに立ち寄りました。そこでユダヤから下ってきたアガボという預言者に出会います。そして、突然パウロの帯を取って自分の両手両足を縛って「あなたはこうなります」と告げます。預言的な行動です。それを見た土地の人達はもちろんパウロを引き留めようとします。その時にパウロが言ったのが今日のみことばです。
この箇所を読む時に思い出されるのは、マタイの福音書16章22,23節のイエス様の姿です。
するとペテロは、 イエスを引き寄せて、 いさめ始めた。 「主よ。 神の御恵みがありますように。 そんなことが、 あなたに起こるはずはありません。 」
しかし、 イエスは振り向いて、 ペテロに言われた。 「下がれ。 サタン。 あなたはわたしの邪魔をするものだ。 あなたは神のことを思わないで、 人のことを思っている。 」
パウロはその預言的な行動の現実を受け入れたくなかったのでしょうか?カイザリヤの人々はパウロのことを思っていました。しかし、パウロはひたすらに神の事を思っていました。パウロのほうがカイザリヤの人々よりもより高い次元で先を見ていたのです。
イエス様は自ら進んで十字架にかかられました。しかし、避けられるのであれば避けたいとも思われました。なぜイエス様は自ら苦しい十字架の道を選ばれたのでしょうか。それは私たちに対する深い愛とご自分の使命の故です。十字架の御業無くしては人々に救いが訪れません。それを成し遂げられるのは先にも後にもイエス様しかいませんでした。
イエス様はご自分のその使命を知っておられました。同じように、パウロも自分の使命を聖霊様から教えられていたのです。その使命は死さえも覚悟させるものです。死をも覚悟した人ほど恐ろしい人はいません。テロを起こす人は自らの命を差し出して多くの人の命を奪います。しかし、私たちが主イエスのために命を捧げるなら、死よりも強力な爆発的な力、人々を永遠に導く生きる力をもたらすことになります。
自分の使命をつかみとったなら、次に必要なのは覚悟です。どっちつかずの状態が一番たちが悪い状態です。みなさんも祈りとみことばの中でうっすらと自分の使命をつかみとっているのではないかと思います。それであれば、みなさんに必要なのは覚悟です。イエス様のために命を失うものは命を得ます。主イエスの御名のために、覚悟を決めましょう。
■A:考えてみよう
神の賜物と召命とは変わることがありません。(ローマ11:29)まずは祈りとみことばによって、自分がどのような賜物を与えられているか、また、神様にどのようなことに呼ばれているかを教えていただきましょう。そして、少しでもその方向が見えたなら、勇気を持って一歩を踏み出していきましょう。
一歩を踏み出さず、その場にとどまっているのであればいつまでも0の状態です。0はいくら大きな数をかけても0にしかなりません。しかし、1であれば数は大きく増えていきます。
失敗するかもしれません。恐れがあるかもしれません。しかし、その一歩こそが信仰の一歩です。間違った方向でも、とにかく一歩を踏み出す決断をし、実際に踏み出してみましょう。今日、あなたが覚悟を持って踏み出す一歩を主は喜んでくださっていると信じます。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しゅん 】
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