■S:今日の聖書の言葉
使徒の働き8章4〜8節(エレミヤ書8章)

★他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。群衆はピリポの話を聞き、その行っていたしるしを見て、みなそろって、彼の語ることに耳を傾けた。汚れた霊につかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫んで出て行くし、多くの中風の者や足のなえた者は直ったからである。それでその町に大きな喜びが起こった。

■O:今日のコラム
ステパノの殉教を機にエルサレムではクリスチャンに対する激しい迫害が始まり、聖徒達は各地に散らされて行きました。人の目には否定的に見えるこの迫害も主の計画から見ると、エルサレムから始まり地の果てまで主イエスの福音が広がる為の重要なきっかけとなったのです。
 散らされた聖徒達は遣わされた地で福音を宣べ伝え、ピリポを通してサマリヤの町に福音が届けられる事となりました。この時、使徒達だけではなく、ステパノやピリポと言った給仕の働きをしていた者達を通して啓示が示され、しるしと不思議、奇跡の御業が行なわれ、大胆に福音が宣べ伝えられました。主が私達を用いる時、私達の役職が大切なのではありません。どの様な立場や環境にあったとしても聖霊に満たされた者達を通して主はこの地にご自身の栄光を現されるのです。
 ピリポがサマリヤの町で奇跡と癒しを行い、福音を宣べ伝えた結果、聖書には「その町に大きな喜びが起こった。」と記されています。この事が今の時代に日本中の町々で起こる事を切に願い求めています。主イエス・キリストを信じ、聖霊に満たされた私達一人一人が遣わされた場所に神の国が現されます。
 時に私達は、現状の難しさに目を留め、またそれぞれの教会がある場所や、職場を見る時、そこに多くの暗闇があるのを見つける事もあるでしょう。どこの場所に行っても「この教会の周辺は難しい環境です。」という言葉を聞く事があります。しかし、ある大胆な伝道者が「クリスチャンがここに暗闇がある。と言うのは違法行為だ。」と言っていました。そうです。私達は主にあって世の光とされているので、暗闇がそこにあるなら私達が光を解き放つ責任があるのです。人の目にはどの様な難しい町でも主には難しくありません。
 この当時のサマリヤの町もユダヤ人達は決して近づきたく無い、不敬虔な町だったのです。しかし、そこに大リバイバルが到来する事となります。
 多くの日本人のクリスチャンは家庭でも主を信じるのが自分一人だけという場合が多くあり、両親や、伴侶から信仰を否定されている状態かもしれません。子ども達も主イエスを受け入れてはおらず、また家庭の中に仏壇や神棚、様々な偶像との戦いがある状態かもしれません。しかし、家庭がどれだけ霊的に固く難しい状態かに目を留める事を止めて、主イエスに目を留め続けましょう。この方に不可能な事は一つもありません。そして私達を通して家庭に主の臨在を歓迎し、神の国の光を解き放つのです。
 職場でも、学校でも、歩く町、乗る電車や、車で運転する道路においても同じ事です。私達が遣わされて行く場所に対して「暗闇の強さ」ではなく、「主の偉大さ」を宣言し、祈りと御言葉の種を蒔きましょう。その地は必ず、神の御国の実を結ぶ地となります。私達が遣わされていく場所にこれから主イエスにある「大きな喜び」が起こる事を信じます。

■A:考えてみよう
今日聖霊様を求め、遣わされた場所に神の国を宣言して祈りましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】

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