■S:今日の聖書の言葉
マタイによる福音書20章28節(詩篇142篇)
★ 人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。
■O:今日のコラム
教会にいると、多くの人が優しく接してくれて、祈ってくれてとても居心地がいいです。
自分が弱っている時に励ましてくれる存在がいることは本当に感謝なことです。
ただ時に、誰も声をかけてくれず、気にもかけてくれず、牧師のみことばも心に入ってこないときはどうでしょうか。
神様が嫌になってしまったり、教会が嫌になってしまったり、神の家族が嫌になってしまうことになってしまわないでしょうか!?
周りの人の態度によって自分の信仰が揺らぐことは時にあることです。
しかし、本来はそうであっていけないと思います。私たちは神様ご自身を土台におかなければいけません。
ところで、今、みなさんは教会でどの立場に所属しているでしょうか。
まだ来たばかりの人であれば「受ける」ことは大切です。今まで受けてこなかった恵みを神様は思いっきり注ぎたいです。
ですが、すでに受ける恵みを十分に知った私たちは「仕える」ことが大切になってきます。
それは、自分の受けた恵みを「当たり前」と思わず、神様が犠牲をささげてくれたからこそ、自分が与えられているということを忘れないためにもです。
仕えることができるのは、与えられる以上の恵みであり、イエス様と同じ道を歩んでいくということです。
仕えることは自分を満たすことではなく、誰かを満たすことですが、その行為は実は自分を満たすことになるのです。捧げる愛は喜びです!!
■A:考えてみよう
どんな小さなことでも誰かに「与える・捧げる・仕える・分かち合う」ことをしているだろうか?
自分ができることを発見しチャレンジしていこう!
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まろ 】
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