■S:今日の聖書の言葉
ヨハネの手紙第一 2章-11節(詩篇94篇)
★光の中にいると言いながら、兄弟を憎んでいる者は、今もなお、やみの中にいるのです。 兄弟を愛する者は、光の中にとどまり、つまずくことがありません。兄弟を憎む者は、やみの中におり、やみの中を歩んでいるのであって、自分がどこへ行くのか知らないのです。やみが彼の目を見えなくしたからです。
■O:今日のコラム
光の中を歩む。これこそ私たちが歩む喜びの道です。幸せの道です。
『神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。これが、私たちがキリストから聞いて、あなたがたに伝える知らせです。もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行ってはいません。
しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。』(1ヨハネ1:5~7)とあるように、光の中を歩む入り口は、主に正直に告白し、悔い改めることです。そうすることによって、私たちは、主との親しい交わりの中に入っていけるのです。それは、私たちの喜びが全きものとなるためなのです。(4節)主の御前に正直な子どもとなる事。これが私たちの成長を促し、平安をもたらします。喜びをもたらします。
この喜びが全きものとなることというのは、同じヨハネの書いた福音書の方を見ると父の愛にとどまることに結びついているのです。『もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。』(ヨハネ15:10~11)
父の愛にとどまりましょう!ここにまことの安息があります。努めてこの安息に入りましょう!そのために主の前に正直になって、光の中を歩みましょう!
そして、2章でもこのテーマがまた出てきます。ここでは、光の中を歩むことは『兄弟を愛する』ことであるとあります。これは5節を見ると、神の愛が全うされることです。またイエス様が残されたキリストの律法、『わたしがあなたがたを愛しているように、互いに愛し合いなさい』の成就です。つまり光の中を歩む事の完成形がここなのです。入り口は1章にある正直さ。出口(?)はここです。
ときに『全ての人を愛しましょう!』というようなチャレンジがなされる事があります。それは素晴らしい事ですが、主は、神の愛で兄弟が愛し合うことを求めておられます。兄弟がです。まず家族が愛し合わないで、どうして家族でない者を愛せるでしょうか?まず兄弟を愛しましょう!このときに素晴らしい事が起こる事を確信します!ゆるし、親切にし、仕えることです。兄弟の悪口を言わず、祝福する事です。
兄弟が仲の悪い家に、父は居心地が悪いはずです。兄弟が愛し合っている家は、父もそこに憩うことが出来ます。
ダビデは『主の家に住まう』ということをただ一つのこととして願いました。ならばまず主に家に住んでいただかなくてはならないのではないでしょうか?父が憩う家、主の臨在が絶えず住まう『神の家』である教会を回復したいと願いませんか?
同時に自分自身が、神の家、主の宮です。ここに愛が満ちているなら、主はここに憩われます!
■A:考えてみよう
主が愛してくださっているように、兄弟が互いに愛し合う教会を願いましょう!また愛することを選び取る歩みをチョイスしましょう!
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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