■S:今日の聖書の言葉
士師記17章6、13節 (ヤコブの手紙3章)

★そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた。

そこで、ミカは言った。「私は主が私をしあわせにしてくださることをいま知った。レビ人を私の祭司に得たから。」

■O:今日のコラム
王のいない国、裁きつかさがいない国。。。

その状態が、この17章から士師記最後にかけて書かれています。

このような時代とは、自分勝手な時代。自分たちが正しいと思うことをどんどん進めていっている時代です。

だから、このミカという人も、神の宮をもっているのに関わらず、お金でいろんな彫像、言わば偶像を作り、その宮に置き、レビ人でないのに、自分の息子を祭司として勝手に立てていました。

そして、ある時、レビ人が通りかかると、自分の祭司になってほしいといい、お金でその祭司を買いました。

その後に言ったミカの言葉が13節。私は幸せだと。神様が私を祝福してくれたと堂々と言い張ります。

しかし、私はこれは単に彼の思い込みだと思います。神様は、もうこの場面にはいらっしゃらない。むしろ、放置しているように感じました。なぜなら、最初から、ミカの行動は神様に受け入れられるものではなかったからです。

今の時代の教会も、この時代と同じような事が起こっている気がします。教会の頭であるべきイエス様がいなく、頭のいない教会。おのおのが正しいと思っていることをする。だから、同性愛が教会で承認されたりと神様の目に明らかによくないことが正しいと判断されています。イエス様のいない教会の中では混乱が起こります。

またこの世ではもっと混乱が起こってくるでしょう。何が正しく、何が間違っているのかという分別が難しくなってくる時代に入っていると私は思います。その中で、私達はどのように歩むべきなのでしょうか?

私達は、いつもイエス様を王として迎えていきましょう。彼こそが真理。彼のみことばにしっかりと立って、この世に揺るがされないようにしていきましょう。日々の生活の中で、職場の中で、教会の中で、常にイエス様を王とし、彼に従っていきましょう。そうすることで、とんでもない思い込みをせず、自分の判断でで正しいと思わず、本当の主からの祝福、幸せをこの時代にあって見出すことができます。

■A:考えてみよう
今日、イエス様を王と迎え、イエス様にフォーカスを当てていき、彼の声に耳を傾け、彼に従って歩んでいきましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 かよ 】

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