■S:今日の聖書の言葉
ペテロの手紙第一 1章22節 (士師記20章)
★あなたがたは、真理に従うことによって、たましいを清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、互いに心から熱く愛し合いなさい。
■O:今日のコラム
士師記の通読が明日で終わります。
この書には、イスラエルの民の度重なる失敗が記録され、特に、19-21章には悪のクライマックスのようなひどい話しが載っています。
いったいどうして、こんな状態になってしまったのでしょう?実は、その答えの一つが、士師記17章6節、また21章25節(士師記最後の節)に書かれています。
「そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた。」
当時のイスラエルの民は、自分の目に正しいと思って、異邦人と結婚したり、偶像を作ったり、拝んだり、自分の息子の窃盗を注意しなかったりしました。神様の御心を知り、それを教えるリーダーがいなかったので、各自が自分でよいと思うことをしていたのです。
私たちも気をつけなければなりません。神様を愛して歩んでいると思っていても、いつのまにかずれてしまうことがあります。
どうしたら、神様の心から、右にも左にもそれないで、神様の愛の真ん中を歩んでいけるのでしょう?
それは、真理である神様の御言葉を読み、真理の御霊である聖霊様に、ずれているところを示していただき、ずれるたびに悔い改めて、その基準に自分を合わせる力をくださいと求めていくことによってです!
たとえば、ガラテヤ5:19-21やマタイ5-7章を定期的に読んでみてください。
数週間前のセミナーの中で、この箇所を読んでいたとき、私は「憤り」というところから先に進めなくなってしまいました。それまでは、知らずに自分は大丈夫と思って過ごしていたのですが、朗読の中で自分の中にこのようなものがあると気づかされました。悔い改めようとするのですが、なかなかできず、祈り続けていたら、人からされた何かについて(もう癒されて誰だったのか何だったかさえ忘れてしまいましたが)まだ傷があり、その人や、された事に対して憤っていたのでした。悔い改めて、その人を赦し、心の傷の癒しを求めたら、完全に癒され、もう思い出すことすらできません。憤りもすっかりなくなりました。
心が清められることは嬉しいことです!心が軽くなり、喜びが湧き上がってきます。心に平安と感謝、恵みが満ちてきます。
■A:考えてみよう
毎朝、毎晩、短い時間でも、御言葉に自分の心や歩みを照らし合わせて祈ってみましょう。
聖霊様にずれているところがないか、聞いてみましょう。
示してくださるところがあったら、悔い改めて、その神様の基準に自分を合わせることができるように、祈りましょう。
律法を廃棄するためではなく、成就するために来られたイエス様、助け主なる聖霊様が、御心にかなうこの祈りを必ず聞いてくださいます。
■P:祈り
神様、今日、あなたの基準に自分を合わせます。自分の力だけではできませんが、あなたが助けてくださるので、それができることを信じます。そのようにして、御国がこの地に解き放たれ、拡大され、御心がこの地に行われることを感謝します。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 ともこ 】
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