■S:今日の聖書の言葉
士師記10章15〜16節 (士師記9章)
★すると、イスラエル人は主に言った。「私たちは罪を犯しました。あなたがよいと思われることを何でも私たちにしてください。ただ、どうか、きょう、私たちを救い出してください。」彼らが自分たちのうちから外国の神々を取り去って、主に仕えたので、主は、イスラエルの苦しみを見るに忍びなくなった。
■O:今日のコラム
私達は神の子どもとして神の御国をこの地にもたらす権威が与えられています。
しかし、私達の祈りが力が無く、主の御前にまで届かない理由があります。それは、私達の内を罪が支配している為です。
預言者イザヤはこの様に主の心を語っています。「見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。」(イザヤ59:1〜2)
罪は主と私達の仕切りとなります。だから私達は継続的な悔い改めの告白をし、主イエスの十字架の血潮により聖められ、御言葉と御霊による洗いを受け続ける必要があります。
また、私達はクリスチャンとして、偶像を持ち、偶像を拝む事は無いでしょう。もしも家庭の中に偶像があるなら早く処分する事を決断して下さい。クリスチャンでは無い家族が偶像を持っている場合等もあります。その場合は勝手に処分すると大きな家庭問題になる場合もあるので、よく祈り備えて、主からの知恵を受けて偶像を取り除きましょう。
しかし、私達クリスチャンにとって最もやっかいな偶像は、神棚でも仏壇や仏像でも無く、人には見えない心の中の秘めた偶像です。エゼキエルはこの心の中にある偶像に対してこの様に行っています。
「人の子よ。これらの者たちは、自分たちの偶像を心の中に秘め、自分たちを不義に引き込むものを、顔の前に置いている。わたしは、どうして彼らの願いを聞いてやれようか。」(エゼキエル14:3)
心の中の偶像は、私達の祈りの生活を虚しいものへと変えてしまいます。今日、私達は心の中から偶像や罪を取り除き、主に向かい真実な祈りと礼拝を捧げましょう。
■A:考えてみよう
今日、聖霊様の助けを受け、御言葉の光に照らされ、私達の内にある偶像と罪を取り除きましょう。
■P:祈り
主よ。私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
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