■S:今日の聖書の言葉
士師記3章4〜9節

★これは、主がモーセを通して先祖たちに命じた命令に、イスラエルが聞き従うかどうか、これらの者によってイスラエルを試み、そして知るためであった。
イスラエル人は、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の間に住んで、
彼らの娘たちを自分たちの妻にめとり、また自分たちの娘を彼らの息子たちに与え、彼らの神々に仕えた。
こうして、イスラエル人は、主の目の前に悪を行い、彼らの神、主を忘れて、バアルやアシェラに仕えた。
それで、主の怒りがイスラエルに向かって燃え上がり、主は彼らをアラム・ナハライムの王クシャン・リシュアタイムの手に売り渡された。こうして、イスラエル人は、八年の間、クシャン・リシュアタイムに仕えた。
イスラエル人が主に呼び求めたとき、 主はイスラエル人のために、彼らを救うひとりの救助者、カレブの弟ケナズの子オテニエルを起こされた。

士師記4章1,3節

★その後、イスラエル人はまた、主の目の前に悪を行った。エフデは死んでいた 。

彼は鉄の戦車九百両を持ち、そのうえ二十年の間、イスラエル人をひどく圧迫したので、イスラエル人は主に叫び求めた。

■O:今日のコラム
11月11日の朝です。今日1日、自分のとどまる場所を意識していきましょう。僕らは、どんな場所でも主にとどまる必要があるからです。

神様は、僕らを愛しています。だからこそ、常に一緒に居たいと願っています。イエス様の十字架と復活、聖霊様の注ぎは、永遠をかけて天のお父さんと過ごすための一方的なプレゼントです。この恵みを受け取り続けるためには、この恵みにとどまり続ける必要があります。イエス様にとどまる必要があるのです。

苦しみがあるから主の御名を呼び求めるのか、いつも主の御名を呼び求めるのか、この二つの選択には大きな違いがあります。苦しみがあっても主を呼び求めないよりは良いかもしれませんが、主を常に求めることは、主御自身が願っていることです。主は、いつでも、僕らの心の一番真ん中に住みたい、僕らを祝福したいと願ってくださっています。

そこで、試みがきます。神様の臨在を感じにくい場所に置かれるのです。この世の楽しみの中です。何となく平安の中に入るかもしれません。何となく上手く物事がすすむかもしれません。しかし、その真ん中に主がおられないならば、そこにとどまり続けるならば、僕らは、いきなりどん底に落とされます。主が、売り飛ばします。そうすれば、僕らは主に飢え渇き、主を求めるようになるからです。

でも、その前に、主を求めたいです。士師達が起こされる前に、自分が主の声を聴き続ける者となっていきたいです。だから、今日、主を歓迎し、主の臨在を求め続けていきましょう。

■A:考えてみよう
幕屋の密かな場所にとどまることを求めます。主の臨在、主の栄光、主の住まう所を愛します。どうしたら、主にとどまることができるでしょうか?考え、祈り、求め続けていきましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ひろみち 】

カテゴリー: マナメール

オンライン献金はこちらから。

大きな額の献金は手数料の少ない口座振り込みをお勧めいたします。

オンラインサポートの手順

Comments are closed.

  • 最近のコメント

  • 新宿シャローム教会 大久保会堂


    〒169-0073 東京都新宿区百人町1-23-24アミューズ大久保ビル2F
    TEL 03-3371-7558
  • アーカイブ

  • カテゴリー