■S:今日の聖書の言葉
士師記2章20~22節(士師記1章)

★それで、主の怒りがイスラエルに向かって燃え上がった。主は仰せられた。「この民は、わたしが彼らの先祖たちに命じたわたしの契約を破り、わたしの声に聞き従わなかったから、わたしもまた、ヨシュアが死んだとき残していた国民を、彼らの前から一つも追い払わない。彼らの先祖たちが主の道を守って歩んだように、彼らもそれを守って歩むかどうか、これらの国民によってイスラエルを試みるためである。」

■O:今日のコラム
約束の地に住むようになったイスラエル。しかし、そこにいた土着民を追い出す事は、中途半端なままでした。そして主は、この土着民たちを残されました。それはテストである、と主は仰せになりました。
 今の私たちも神の御国の住民として、また霊的なイスラエルとしてここにいます。しかし、私たちにもこの土着の7民族との戦いが残されています。この7民族は、7つの悪霊です。これはテストなのです。今日読んだ箇所の中で追い出せなかった民族のスタンダードは、カナン人です。カナンとは、へブル語で『熱心』という意味です。異邦人の熱心とは、自分の努力によって、認められ、生きていこうとすること、つまり孤児の霊です。正しいアイデンティティーを取り戻す事が、最初の戦いです。
日々、主の御前にとどまり、神に愛されている一人の者であり、神を愛する一人の者というアイデンティティーを確かなものとしていきましょう!
日々の自分の働きのために、主に求めることは良い事です。しかし、働き人である前に、働き云々ではなく、ただ主に愛されている神の子どもなのです。私は牧師です。牧師だから祈らなくては、やっていけないことは分かっています。しかし、牧師だから祈っているというならば、牧師をやめたら祈らないのでしょうか?違います。牧師である前に、ただ狂おしいほどに神に愛されている一人の者なのです。命をかけて神を愛する一人の者なのです。その一人の者として、日々主の御前に出て行くことは、全ての人に必要な、ただ一つの事です。
 そして、最終的にエブス人を追い出すことが待っています。エブス人はダビデの時代まで、エルサレムに住んでいました。この事にも大きな意味があります。ダビデの幕屋が私たちに建てなおされることは、最初のカナン人から、エブス人に至るまでの悪霊との戦いに勝利するカギなのです。ダビデの時代に主は、イスラエルに勝利に次ぐ勝利を与えられました。エブスとは、へブル語で『脱穀』です。私たちが振るいにかけられ、テストを完全にパスし、完全に神のものとなることへと、その戦いは続いています。
 そのテストを避けていては、いつまでも約束の地の完全制覇はなりません。第一に御国を求める者として私たちは、召されています。ならば、悪霊との共存、妥協は、主の願いではありません。何とか今をしのげればいいという当時のイスラエルの心では、そのテストをパスすることはできません。神の義をこの地に表すことが突破口です。神の国を求める者は、同時に神の義を求める者なのです。
彼らがこのテストを目の前に置かれた理由もそれでした。『この民は、わたしが彼らの先祖たちに命じたわたしの契約を破り、わたしの声に聞き従わなかったから、わたしもまた、ヨシュアが死んだとき残していた国民を、彼らの前から一つも追い払わない。』とありますから。聞き従うことが突破口なのです。これが私たちの戦術です。

■A:考えてみよう
モーセが、ヨシュアが敵を知るために斥候を遣わしたように、敵を知る事は、戦いに必要なことです。敵を知り、神の御声に聞き従い、神の国とその義をまず第一に求めて行きましょう!

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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