■S:今日の聖書の言葉
ヨハネの福音書18章6節(詩篇82篇)
★イエスが彼らに、「それはわたしです」と言われたとき、彼らはあとずさりし、そして地に倒れた。
■O:今日のコラム
イスカリオテのユダは祭司長、一隊の兵士、パリサイ人たちから送られた役人たちを連れて、イエス様がおられる園にやって来ました。
彼らが「ナザレ人のイエス」はどこか?と捜していることを知って、イエス様は上記のように答えました。
ユダが連れてきた兵士たちは、ともしびとたいまつと武器を持ってイエス様を捕らえに来ました。この時
、イエス様は御子の力を持って、彼らを天からの炎で焼き尽くすことも出来たでしょう。
けれども、イエス様は御父のご計画に従って、自分を低くし、弱い者のように、兵士たちに捕らえられていったのです。
そんな、へりくだりのイエス様のひと言、「それはわたしです」に、一行はその威厳に圧倒され、腰を抜かし、地に倒れてしまいました。
誰かと意見が合わない時、誰かから責めを受ける時、私たちは自分の正しさを主張したくなります。
それが理不尽であれば、なおのこと、です。
あの人が自分に謝ってくれれば…、あの人が自分を認めてくれれば…、あの人が自分を尊重してくれれば…
色々な思いがやって来ます。
イエス様は、自らがへりくだることを選ぶ時、自らが小さき者となる道を選ぶ時に、御父がどのように自分を取り扱って下さるかを示して下さいました。
イエス様は名もなき若い夫婦の間にひっそりと産まれました。けれども、宇宙の星がその誕生を告げ知らせました。(マタイ2章)
イエス様は、きらびやかな宮殿のベッドではなく、飼い葉桶の中におられました。
けれども、御使いと天の軍勢が、御子をたたえ賛美しました。(ルカ2章)
イエス様は本来であればバプテスマを授ける側であるのに、バプテスマのヨハネから、バプテスマを受けました。
けれども、その時、天が開け、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」という御父の言葉が語られました。
イエス様は兵士たちに弱い者のように自分を捕らえることをよしとしました。
けれども「それはわたしです」のひと言で、一行を圧倒しました。
イエス様はへりくだり、死にまでも従われました。
けれども死にさえも打ち勝って、よみがえられました!
イエス様が、御父の御心にしたがい、小さき者としての姿を見せる時、御父はいつも御子を高く上げて下さり、御子に栄光を与えられました。
私たちが天の父に従う時、自分の権利を捨ててへりくだる時、小さき者の姿を選び、耐え忍ぶ時、主は必ず栄光をあらわして下さり、私たちを高く引き上げて下さいます。
主は全てを見ておられます。私たちの日々の選択、日々の葛藤、日々の戦いを、主は知っておられます。
「キリストの身丈にまで達する」とは、背丈が伸びて高くなるようなイメージですが、そうではなく、私たちはますます身を低くして、へりくだる者、キリストにならう者となれるよう、変えられていきたいです。
御言葉により、また御霊により、洗いきよめられ、造り変えられていきたいです。
ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。(第1ペテロ5:6)
もし耐え忍んでいるなら、彼とともに治めるようになる。(第2テモテ2:2)
■A:考えてみよう
今、直面している状況で、私の心はへりくだっているだろうか。自分の権利を心の内で振りかざしていないだろうか?
私たちは、霊的な戦いを挑まれています。
戦いの相手は、人ではなく、時に自分の弱さや自我であり、また時に、敵は悪しき霊です。
膝で戦いましょう。心を砕き、自我に死に、主の前にへりくだって、ひざまずき祈りましょう。
真実を知っておられる主が必ず勝利を与え、喜びを与え、私たちを高くして下さいます!
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 みちる 】
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