■S:今日の聖書の言葉
へブル人への手紙9章12節(イザヤ書59章)

★また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです。

■O:今日のコラム
モーセの幕屋では、大祭司だけが年に1度だけ血をたずさえて至聖所に入りました。

しかし、それらは神に近づく者を完全にすることは出来ませんでした。

神様がご計画された方法は、御子イエスキリストを砕き、傷のない御子をいけにえとして捧げることでした。

イエス様の肉体という垂れ幕を裂くことによって、私たちのために至聖所への道を開いて下さいました。

イエス様は、なぜこのような十字架の苦難の道を選ばれたのでしょうか。イエス様には罪が全くなかったのです。

なぜ聖い神の子羊が罪深い私たち人間のためにいけにえとなってその身を捧げて下さったのでしょう。まったく割に合いません。そもそも贖いとは、割に合わないものなのです。
愛のゆえにしかなしえません。

最大の理由は、こうであると信じます。

イエス様は父と子の関係の中にただ従順されたかったのです。父に栄光を帰すためだったのです。

イエス様は常に「私」ではなく「あなた(父)」でした。真の息子となれるように、その事にのみ焦点をあてました。

イエス様は神の御子ですが、私たちも神の子供とされました。神の子供として、父なる神様にどのように従順すべきかをイエス様の反応とアクションを通して学ぶ事が出来ます。

イエス様が天の父から与えられた究極の使命は、罰せられ、神に打たれ、苦しめられることでした。私たちのそむきの罪のために刺し通され、砕かれることでした。そして、その懲らしめと打ち傷によって私たちにいのちと平安をもたらすことでした。

イエス様はこの使命に従順されたのです。

イエス様がそうであったならば、私たちも天の父の使命に従順すべきです。

召された道に従順する中で、様々な試練や葛藤や苦難を通ることもあるかもしれません。しかし主は、涙の谷を過ぎる時もそこを泉のわく所として下さると約束して下さいました。

神へのいけにえは砕かれた魂、砕かれた、悔いた心。

礼拝は、砕かれた時に涙と共に溢れ出てくるものです。

そして、砕かれた心を通して父の深い臨在の中へと招く生ける道が開かれ、真の父と真の子供の関係の中に入っていくのです。

イエス様がご自身を犠牲にしてまでも私たちに示したかったことー。

それは、私たちが天のお父さんにとって真の息子、真の娘になることでした。

■A:考えてみよう
天のお父さんはあなたが生まれる前からあなたを抱いていました。失敗してもそれでも神様は愛して下さいました。全ての時にまず初めに愛して下さいました。

この大きな父の愛に応えませんか。

真の息子、娘になれるように、父と子の関係の中に従順していきませんか。

■P:祈り
私が知りたいのは、神学でも教理でもありません。ただ、あなたを知りたいのです。ただお父さんと出会いたいのです。
どうか、あなたとの仕切りとなっている私の側の垂れ幕を砕いて下さい。そして、あなたの深い臨在の中に入らせて下さい。
そして、あなたの真の息子、娘とさせて下さい。

イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ひさえ 】

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