■S:今日の聖書の言葉
申命記32章46-47(コリント人への手紙 第一 16章)
★ 彼らに言った。「あなたがたは、私が、きょう、あなたがたを戒めるこのすべてのことばを心に納めなさい。それをあなたがたの子どもたちに命じて、このみおしえのすべてのことばを守り行わせなさい。これは、あなたがたにとって、むなしいことばではなく、あなたがたのいのちであるからだ。このことばにより、あなたがたは、ヨルダンを渡って、所有しようとしている地で、長く生きることができる。」
■O:今日のコラム
多くの人々は律法というものは自分達を束縛する厳しい戒めの様に感じます。
しかし、モーセは「これは、あなたがたにとって、むなしいことばではなく、あなたがたのいのちである。」と言っています。
そうです。律法は私達に主の命を啓示するものです。
パウロは書き記した多くの書簡の中で律法が廃棄された事を記しましたが、しかし、そこで用いられている律法という言葉の多くは、律法から派生する礼拝形式や生活習慣を指しています。
主イエスが十字架で血潮を流され、罪の赦しを完全に成し遂げた故に私達はもはや牛や羊のいけにえを捧げる必要が無くなりました。
また割礼や食事の規定、安息日の規定においても私達は自由にされ、イエス・キリストの救いを通して異邦人も約束の民に加えられるという恵みに預かりました。
しかし、贖いの業を完成された主イエスご自身が「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。
まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。
だから、戒めのうち最も小さいものの一つでも、これを破ったり、また破るように人に教えたりする者は、天の御国で、最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを守り、また守るように教える者は、天の御国で、偉大な者と呼ばれます。」(マタイによる福音書5章17-19節)と言われています。
かつてはイスラエルの民に律法が外側に与えられていましたが、主イエスの十字架を通し御霊により、今は主の民の内側に律法が書き記される事となりました。
この律法を成就するためには聖霊様の助け無くしては絶対に出来ません。今日共に祈りを持って聖霊様を歓迎しましょう。
そして、この方が申命記に記されている律法の中にある命と真理を私達に解き明かして下さる様に求めましょう。
■A:考えてみよう
今日祈りを持って聖霊様を歓迎し、そして申命記を朗読しましょう。
■P:祈り
主よ。御言葉を私に教えて下さい。あなたの戒めは命であり、私の足の灯火です。私はあなたの御言葉を心から愛します。御言葉の啓示を今日も開いて下さい。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
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