■S:今日の聖書の言葉
コリント人への手紙 第一5章2,6節(申命記21章)
★ それなのに、あなたがたは誇り高ぶっています。そればかりか、そのような行いをしている者をあなたがたの中から取り除こうとして悲しむこともなかったのです。
あなたがたの高慢は、よくないことです。あなたがたは、ほんのわずかのパン種が、粉のかたまり全体をふくらませることを知らないのですか。
■O:今日のコラム
教会の中で、兄弟の不正が明らかになるとき、私たちの取るべき反応は、どのようなものであろうか?
『いいんだよ。しょうがない。人間だから。』と言って受け入れることでしょうか?
コリント教会は、そのようにしていたようです。そして『私たちは、なんて寛容なのだろう』、と高ぶっていたようです。
それは、神のみこころでしょうか?
いいえ、違います。
神のみこころは、教会がきよめられることです。傷もシミもしわもない、純真なキリストの花嫁となった教会をイエス様は、待ち望んでおられます。主は、私たちに対して、そのようなときに悲しんで欲しいと言っておられます。この悲しみとは、主の前に悲しんでとりなすことを指します。
ある韓国の牧師から、聞いたのですが、韓国には『恨』(ハン)という国民性があると言っていました。『恨』とは、日本語でいうなら、嘆き悲しむことに近い意味の言葉だそうです。
韓国は、どの世代も戦争を体験し、その度に韓国はどん底のような生活に陥ったそうです。だから、韓国の民は、大声で嘆き悲しむ民となりました。
その韓国の嘆き悲しむマイナスの国民性は、福音の訪れとともに、十字架の力によって、いまだかつてどの国にもなかったほど、主の前に嘆き悲しんでとりなして祈る国民性という大きなプラスに変えられたのです!
その祈りによって、韓国は、世界一のキリスト教国となりました!
十字架は、マイナスをプラスに変える神の力です!
兄弟の不正、陰口、を知ったなら、まず、悲しんでとりなすのです。そして、悲しみ(とりなしの祈り)によって、深い悔い改めが与えられるようになるのです。
『神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。』(コリント人への手紙 第二 7章10節)
兄弟の不正に対する行うべき対応は、その不正の種類などによって、対応が変わってきます。
しかし、誰しもがすべき対応は、とりなしの祈りを捧げることです。
反対に『いいよ。しょうがない。人間だもの。』と悔い改めに至らせることなく、ただ何でも受容するならば、教会は主に捧げられるのに、ふさわしいものとはなりません。
教会がきよくあることを願おうという事を、8節では、「パン種のない、純粋で真実なパンで祭りをしよう!」と言っています。
私たち教会は、収穫され、砕かれて練られた、小麦の粉の塊とも言えるからです。
■A:考えてみよう
教会が純真できよい、パンの塊となっていけるように願おう!
まずは、自分がきよめられることから始めよう!
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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