■S:今日の聖書の言葉
ローマ人への手紙9章10-11節(申命記9章)
★ このことだけでなく、私たちの父イサクひとりによってみごもったリベカのこともあります。その子どもたちは、まだ生まれてもおらず、善も悪も行わないうちに、神の選びの計画の確かさが、行いにはよらず、召してくださる方によるようにと、
■O:今日のコラム
神は計画をもってご自身の民を選んでおられます。そしてその選びは確かです。
ここで語られたリべカの子、ヤコブとエサウのうちヤコブを選ばれたこともその証拠です。
私たちは、神の召しの大きさ、神が自分に期待しておられる働きの大きさ、神が自分に求めておられる基準の高さを見ると『こんなの無理。』と言いたくなるものです。そして『あの人にも、この人にも無理じゃないかな。世界を股にかけて活躍しているあの人なら、その招きに応えられるかもしれないけど…』と感じるものです。
しかし、違います!
神の選びは確かなのです! あの人もこの人も、そして私も、神の招きに応えて約束のものを得ることができるのです!
神の望んでおられる期待に応えて、神の願われる自分になることができるのです。
事は、私たちの願いや努力によるのではなく、(願うな、努力するな、とは言っていません!聖書は願い、努力を捨てるように勧めていません!)あわれんで選んでくださった方、神によるのです。
主により頼むなら、必ず成し遂げられます!
この方が選ばれた以上、この方に信頼するならば恥を見ることはありません!神の選びは確かなのです!
私たちの能力や純粋さなど、問題ではありません。
人間の能力など神から見たら、どの人も大したことはありません。むしろ『私にはその力はありません。』と言える者を通して主は偉大なことをなされます。主には、そうする力、そうさせる力があるのです!
私たちは、神の計画に従って召された者です。この方に自分の身も心もお任せするなら、間違いはありません。
そうです。私たち、召された者たちには、それに応える態度というのがあります。
それは、神を愛するということです。
『神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。』(ローマ人への手紙8章28節)
主は、イスラエルを愛し、何度もご自身の御つばさの陰に集めようとされました。しかし、彼らは、かたくなになってそこから出て行ってしまったのです。
神の手が短くて救えないのではありません! 彼らがかたくなな道を選んだのです!
私たちは、御つばさの陰に覆われましょう! それが神を愛する者の置かれるべき場所です。御つばさの陰は、至聖所にあるケルビムの翼の陰、つまり主の臨在そのものを意味します。
神を愛することは、神の命令に従うことです。(それも主に祈り求めることによって、成し遂げていくものです。)
そうするとき、私たちは御つばさの陰に入れられるのです。だから、主の仰せに従うことは、信頼と希望と愛、喜びと平安とに満ちた道なのです。
■A:考えてみよう
自分の力、純粋さなどを見て失望せず、神に信頼して、神を愛する道を選び続けよう!
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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