■S:今日の聖書の言葉
詩篇40篇6-8節(マルコによる福音書16章)
★ あなたは、いけにえや穀物のささげ物をお喜びにはなりませんでした。あなたは私の耳を開いてくださいました。あなたは、全焼のいけにえも、罪のためのいけにえも、お求めになりませんでした。そのとき私は申しました。「今、私はここに来ております。巻き物の書に私のことが書いてあります。わが神。私はみこころを行うことを喜びとします。あなたのおしえは私の心のうちにあります。」
■O:今日のコラム
主は霊とまことによる真の礼拝者を求めておられます。それは、自分勝手な礼拝を捧げる者ではありません。主の求めを悟る心が必要です。
主は、ただ単に技術的に高い水準の礼拝を求めているのでも、ただ単に盛り上がった礼拝を求めているのでもありません。それはそれで素晴らしいことです。
しかし、私たちにとってどうかではなく、主にとって最上級の喜びとなる礼拝が最高の礼拝であり、霊とまことによる真の礼拝です。
ところで最高の食事とは何でしょうか?
高い料理技術があるものが最高の食事とは限りません。高級な豪華さを誇るような食事が最高の食事とは限りません。
時には、大好きな人とともに食べるおにぎりが最高の食事になることもありえます。昨日食べた最高の食事が、今日は最高ではなくなるように、主にとって最高の礼拝も、昨日と同じ礼拝を繰り返すことでは失われていきます。
主が聖書から、私たちに語りかけてくださる言葉はいつも同じではありません。
長くなりましたが、賛美のいけにえ、感謝のいけにえ、献金など私たちの捧げるべき捧げものはたくさんあります。
しかし、規定されたいけにえたちにサンドイッチされて書かれていることは、何だったでしょう?
『あなたは私の耳を開いてくださいました。』です。
サムエルがサウルに言ったように、主に聞き従うことは、どんないけにえにも勝るのです。
そして8節にあるように、いやいやではなく、主の仰せに喜んで従うことです。
主の仰せに喜んで自らを捧げることは、私たちの捧げられる最高の礼拝であり、自らの身体を生きた聖い捧げものとすることです。それが霊的な礼拝です、とありますから。
■A:考えてみよう
主の仰せに喜んで従うことを、成し遂げてくださる方である主に求める。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
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