■S:今日の聖書の言葉
ヨブ記16章12節 (マタイによる福音書14章)
★ 私は安らかな身であったが、神は私を打ち砕き、私の首をつかまえて粉々にし、私を立ててご自分の的とされた。
■O:今日のコラム
ヨブ記は「的 (まと) 」 という表現がよく使われています。
今日の箇所と、他には7章20節。
「私が罪を犯したといっても、人を見張るあなたに、私は何ができましょう。なぜ、私をあなたの的とされるのですか。私が重荷を負わなければならないのですか。」
ヨブは、自分が 「神様の的」 であることを嘆きました。ヨブにとってはそれは重荷であり、怒りの標的、試練の対象であると考えていました。自分の身に起こっていることがあまりにも苦しく、理解を超えていたからです。
これを読んだ時、ディビットチャー先生のメッセージを思い出しました。
チャー先生は、地図を広げ、黒い点が様々な国の上に貼られているのを見せてくれました。これは、サタンが終わりの時に激しく攻撃している場所です。
このサタンのシールは特に、日本、韓国、中国に多く貼られていました。しかし、これらのシールが貼ってある場所は、これから主が力強く回復されようとしている場所であると語られました。
主は、大いなる回復を現すために、一時的にサタンの働きをゆるされているのです。
ヨブも、一時的にサタンの手に委ねられた人物ですが、彼の結末はどうだったでしょうか。
主はあらしの中からヨブに答え、38~41章と、4章にもわたって壮大な神様の業、ご自身の全能をヨブに現されました。
また、ヨブの前の半生よりあとの半生をもっと祝福されました。ヨブは神様の怒りの的ではなく、神様の愛の的だったのです。
今の国の現状を思うとき(地震、原発、政治、経済、うつ、自殺者…) ヨブのように、まるで日本が神様の怒りの的であると感じるかもしれません。
しかし、日本は必ず回復していきます。全て失った時にこそ、その魂は主に向くからです。
最後に、もう一つ 「的」 という表現は、哀歌の中にも出てきます。
哀歌は、捕囚のあとの廃墟となったエルサレムの悲惨な状態を嘆いた悲しみの歌です。
「主は、私の道をかき乱し、私を耕さず、私を荒れすたれさせた。主は弓を張り、私を矢の的のようにし、矢筒の矢を、私の腎臓に射込んだ。…
私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。主こそ、私の受ける分です。」 と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。」 (哀歌3章11-24節)
チャー先生が見せてくれた地図に、黒いシールが一番多く貼られていたのはイスラエルでした。
イスラエルこそ、主の大いなる回復が用意されている場所です。
イスラエルこそ、主の心臓であり、主の瞳、主の目的、主の願い、主の燃える愛の的なのです。
■A:考えてみよう
国のリーダーたち、高い地位にある人たちが、主を恐れるよう祈ろう。
東京に、日本に主の義がなされるよう、この朝、神の民たちで共に心合わせてとりなそう。
そして、私たち異邦人の救いと共に、イスラエルに大いなる主の回復がなされるよう祈ろう!
■P:祈り
主よ、盲目に祈るのではなく、正確に敵を見て敵の首を切ることの出来る分別力を与えて下さい。
霊の目を開き、的を得た祈りをすることができるように。
霊的戦いに勇敢に勝利する、主の軍馬として私を使って下さい。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 ひさえ 】
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