■S:今日の聖書の言葉
創世記39章5節(同40章)
★ 主人が彼に、その家と全財産とを管理させた時から、主はヨセフのゆえに、このエジプト人の家を、祝福された。それで主の祝福が、家や野にある、全財産の上にあった。
■O:今日のコラム
ポティファルの家にヨセフがやってきました。ヨセフがあまりに祝福されているので、ポティファルは、家の全ての管理をヨセフに任せました。するとその家と財産が祝福されました。
私達の主は祝福の源、祝福そのものと言っても良いお方です。このお方にお任せするなら、任せた領域は祝福されていきます。ポティファルが任せたのは、家と財産でした。すると家と財産が祝福されました。
私達は、主に、どれだけの領域をお任せしているでしょう?
私達が経済だけを主に委ねているなら、祝福は経済の上にだけ大きく現れるでしょう。
私達が、問題のあるときにだけ、主に委ねるなら、普段には、主の祝福が大きく現れることはないでしょう。
私達は、より大きな領域を主にお任せする事が良い結果を生む事は知っています。しかし、知っているだけでは、委ねられないものです。委ねる事に平安がなく、恐れがやってくるからです。
私達は、自分自身の中に主にお任せできない心を抱えています。主に対する信頼は、突然やっては来ません。人に対する信頼が養われるのに、時間をかけた交わりが必要なように、普段からの主との交わりの中で少しずつ与えられていくものです。
そして、私達は、自分の経済や人間関係や仕事が祝福されるためにお任せするのではなく、主を愛しているから、自分自身を生きた聖い供え物として捧げたいと願うように変えられていきます。
ポティファルは家を任せました。新約の今、私達は神の家です。神の物は神にお返しするべきです。そうするときに私達に主は、ご自身の願い通りの事をすることができます。
デイビッド・デイミヤン師が見た幻で、主は、多くの者は、私を迎えてくれ、私に家を貸してくれるが、私の家として私に捧げてはくれない、と語られました。
借り物の家に、主は存在することはできるが、好きな様に作り変えることはできません。所有者ではないからです。
所有者だけが壁を壊したり、色を変えたりする権利を持っています。自分の所有者が主である事を日々受け入れ、主のために死ぬことを受け入れる心は、私たちにとって大きな祝福を受ける心、主の栄光が表れ、主の計画が自分に表れるために必要な心です。
■A:考えてみよう
日々、祈り、主の所有であることを受け入れましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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