■S:今日の聖書の言葉
創世記11章3-4節(同12章)
★ 彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作ってよく焼こう。」彼らは石の代わりにれんがを用い、粘土の代わりに瀝青を用いた。そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」
■O:今日のコラム
エジプトは罪の象徴です。そのシンボルとも言えるピラミッドは、王の自己顕示欲の建築物とも言えます。
一方、バビロンは宗教の象徴です。そのシンボルとも言えるバベルの塔は、その頂きにマルドゥク神の神殿を掲げていました。宗教を用いて一致する事をうたいながら、その頂上に自分が君臨しようとする心がバビロンの心です。
黙示録に出てくる大バビロンも世界統一宗教、政治、通貨をもって、その淫婦が君臨する事が描かれています。淫婦は、大水の上に大淫婦は座っている、とあり、その大水は多くの国民である、とあります。
しかもその方法は、人の知恵、人の方法、人の力により頼むものです。主の宮が生ける石で築かれるのに対し、彼らは『石の代わりにレンガを用いよう』とし、私達を燃やす祭壇の炎は、主の炎でなければならないのに、人が起こした火で『レンガを良く焼こう』とするのです。
そして、その中に隠れている心は『名をあげよう』という心です。
誰の名をあげようというのでしょう? 主の御名出ないのは確かです。
その名は、彼らの支配者、地上で最初の権力者である二ムロデの名です。マルドゥク神のマルドゥクとは、メロダクであり、二ムロデなのです。
私達は、人の上に立ちたがる心に注意しなくてはなりません。
終わりの時代に聖霊の激しい注ぎがあるとともに、バビロンのスピリットも勢いを増すからです。
特に、熱心で燃えているならば、人の下につかなくてはなりません! 人に仕えなければなりません! そうすれば、人々を燃やして行く事ができます! 火は燃やす物の上にあってもしょうがありません! 下に置くのです。
仕えることが主のお心であり、イエス様の模範であったからです。
■A:考えてみよう
霊に燃えて主に仕え、その炎をもって人に仕えましょう! そのとき主の勝利、主の願いがそこに解き放たれると信じます。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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