■S:今日の聖書の言葉
ヨハネによる福音書9章39節(アモス書3章)
★ そこで、イエスは言われた。「わたしはさばきのためにこの世に来ました。それは、目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです。」
■O:今日のコラム
神の国の原則は「先の者があとになり、あとの者が先になる。」また「自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされる。」
さらに「見えない者が見えるようになり、見える者が盲目になる。」という様にこの世の原則とは逆の性質を持っています。主の心を理解する為には絶えずへりくだった心を持たなければなりません。自分は十分に知っている。自分こそ知者だと思う時、私達は本当に知らなければならないものを見失う事となるのです。
パリサイ人や律法学者は熱心に聖書を調べ、それを守り行う為にあらゆる規則を作り生きていましたが、いつの間にか自分達の宗教的な行為を誇りとし、人間的な基準の聖さに慢心するようになって行きました。その結果、彼らが待ち望んでいた救い主、御言葉が示す中心であられる主イエスが目の前に現れたにも関わらず彼らはそれを見いだす事が出来なかったのです。
これは終わりの時代に生きる私達にとって重要な教訓です。私達がどれだけ宗教的な行為を守り行なっているか? また終末に起こる出来事を知り、再臨の時期を意識しているか?という事が重要なのではなく、へりくだりを持って主を求め、御言葉に聞き従い、日々主との親密な関係に生きる事こそが、目を覚まして主を待ち望む聖徒達に必要な姿勢です。
いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方が、こう仰せられる。
「わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。」(イザヤ書57章15節)。
水が高い場所から低い場所へ流れ込むように、へりくだった者の内に主の恵みは日々新しく注がれる事となります。
■A:考えてみよう
「自分は知っている」という思いを捨てて、へりくだりの心をもって御言葉を読みましょう。すると今まで何度も読んだ聖書の箇所からも新しい啓示と知恵が私達に開かれて行きます。
■P:祈り
主よ。私はあなたの御前に出て、もっと主を知りたいという願いを持ってあなたを追い求め続けます。今日も新たに御言葉の啓示を与え、主の心を教えて下さい。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
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