■S:今日の聖書の言葉
ヨハネによる福音書1章46節 (ホセア書9章)
★ ナタナエルは彼に言った。「ナザレから何の良いものがでるだろう。」 ピリポは言った。「来て、そして、見なさい。」
■O:今日のコラム
イエス様と出会い、イエス様についてゆくことを決心したピリポは、今度はナタナエルを見つけて、彼にこう知らせました。
「私たちは、モーセが律法の中に書き、預言者たちも書いている方に会いました。ナザレの人で、ヨセフの子イエスです。」 (ヨハネによる福音書1章45節)
しかし、ナタナエルは 『ホントに!! 俺も会いに行く行く〜!』 とは答えませんでした。
上記のように 『ナザレみたいな所から、一体どんな良いものが出てくると思ってるんだよ。』 というがっかりな返答でした。
ナタナエルは、ユダヤ教の伝統的な偏見により、すぐにイエス様の存在を受け入れることが出来ませんでした。
けれども、ピリポも引き下がりません。(偉いっ!)
「そんなこと言わないで、嘘だと思うなら、とにかく来て見てよ。」
そして、イエス様に直接会い、イエス様の言葉を聞いた時、ナタナエルの偏見、思い込みは打ち破られ、ナタナエルはイエス様に 「あなたは神の子です。」 (ヨハネによる福音書1章49節) と告白することが出来ました。
私たちの中にも、ナタナエルのように古く固まった思い込みが潜んでいます。あまりにも、「当然」 と思い込み過ぎて、それが真理ではないということに、なかなか気付けない時もあります。
『お金がないと○○出来ない。献身者じゃないから祈る時間が無い。お酒の場につき合わないと、友達に伝道出来ない。ちょっとの不正は目をつぶらないと、仕事が上手くいかない。テレビを観ないと世の中の動きについて行かれなくなる。私は断食するような熱いタイプじゃない。…etc』 (決して禁欲主義や律法主義を主張しているワケではありません。例えです。)
そして、そんな自分の思いに相反する言葉がやってくると、私たちは 「そんなわけがない…」 と応答して終わってしまうのです。
私たちに必要なのは、イエス様と個人的に出会うことです。
ナタナエルは主と直接会うことによって、自分の思い込みを捨てることが出来、真実を見いだすことが出来ました。
夫婦が結婚して、それで終わりではなく、毎日の生活の中で相手の新しい一面を知っていくのと同じように、私たちと主との出会いはたった一回で完了するものではありません。
牧師先生のメッセージ (牧師先生と主との出会いの話) を聞くだけでは、簡単に心は新しく造り変えられないかも知れません。
私たちは日々、個人的に主と親しく交わり、また新しい出会いを通して、古き自分に気付かされ、古き自分に死に続け、日々、キリストに似た者へと新しく造り変えられていく必要があるのです。自分がクリスチャンになって何年経っていても、関係ありません。
今日も主との新しい出逢いを経験し、古き自分に気付き、それを捨て去ることが出来るよう、へりくだりの心をもって主の御前に出てゆきましょう。
■A:考えてみよう
自分の中にある古い性質、主の教えや御心に反する“思い込み”はなんだろう。
聖霊様との親しい交わりによって、ともに、更新されていきましょう。(テトスへの手紙3章5節)
今日も主によって、私たち1人ひとりに新しい気付きが与えられますように。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 みちる 】
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