■S:今日の聖書の言葉

ヨハネの手紙 第一 4章12節(雅歌8章)

★ いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。

■O:今日のコラム

みなさんは神様の姿を直接見たことがありますか?

旧約の時代、人々は神様と直接出会うことは許されていませんでした。もし、神様の顔を直接見たら、その人は死んでしまう時代でした。しかし、神は愛するひとり子イエス様を私たちに送って下さり、十字架の死と復活を通して、誰でも神様と直接出会うことができるようにしてくださいました。

確かに、神様を知っているし、神様の愛を感じることはあるかもしれませんが、なかなかリアルに神様を見ることは難しいのではないかと思います。しかし、今日のみことばでは、リアルに神様を見る方法が書かれています。それは、互いに愛し合うということです。

17節の後半には、「私たちもこの世にあってキリストと同じような者である」と書かれています。これはおどろくべきことです。

神の御子であるキリストと私たちが同じとは信じがたいことです。しかし、イエス様を主と告白し(15節)、聖霊様を歓迎するなら私たちのうちに神様がいてくださると書かれています。

もしイエス様を知らなければ、私たちは泥遊びをした子どものように、目も当てられない姿かもしれません。

ところが私たちは、そのドロドロのままで神様の所に行くことが許されています。着替えて、お風呂に入って綺麗にしてから神の前に出る必要はないのです。ありのまま、ドロドロのままで神様の懐に飛び込んでも、神様は私たちを喜んで受け入れ、ご自身の手で綺麗に洗ってくださいます。もし私たちが神の愛の中に留まり続けるなら、恐れは消え去ります。(19節)

そのような状態になるにはどうすればいいか。

それは互いに愛し合うということです。これは、神様からの戒めです。もし、大好きな人がいたら、その人のことはなんでも聞きたいと思うはずです。同じように、神様のことを大好きであれば、どんな戒めも守ることは難しくないと思います。

このように愛に関して大胆に語れるのは、この記事を書いたのはヨハネだからでしょう。なぜなら、ヨハネはイエス様の心臓の音を一番近くで聞いていたほど誰よりも近くイエス様のそばに居たからです。ヨハネは神様の愛を本当に知っていたのです。

私たちも神様の愛の中にとどまり続けるなら、神を知るだけではなく、神に知られるものとなるでしょう。そうすることで、あの愛することができない人のことも神様の力によって愛することが出来るようになるはずです。その中心にこそ、神様がおられるのです。

■A:考えてみよう

あなたは愛し、受け入れるのが難しい人はいますか?

その人を直接愛することは難しいかもしれません。だから、まず神様を熱烈に愛することをはじめてください。

そのためには犠牲が必要です。自分の時間を、労力を、経済を、あらゆるものを主に捧げる必要があります。いやいやながらではなく、神様の愛に応えたいという思いからこれらのことをするなら、あなたのうちに神様の愛が満ち溢れます。そうすれば、自然に自分の苦手な人を愛することができるようになります。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。

【 しゅん 】

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